舟着山 ちょっと藪歩き

 奥村氏の絵地図を参考に8の字コースで歩きました。
【山 名】舟着山(船着山)(ふなつけさん、ふなつけやま、ふなつきさん、ふなつきやま) 426.9m
【三角点】426.97m 三等 点名:日吉村2 所在地:愛知県新城市大字日吉字瀧ノ入56番
【山 域】弓張山地(東三河) 桜淵県立自然公園
【所在地】愛知県新城市日吉・吉川・市川
【山行日】2006年9月23日(土曜日・秋分の日)
【行 程】北西麓(新城広域クリーンセンター前)から
  豊川 ==(R151・県道69(別所街道))== 新城広域クリーンセンター前 --(林道)-- 不動明王 --(林道)--
                                                            9:46                10:02
  -- 尾根取付点 --(林道)-- 沢分岐付近 ---- 沢横断 ---- 沢から離れる地点 ---- 尾根合流地点 --
      10:07                                  10:44        10:52                 10:57
  -- 林道舟着山線横断地点 ---- 宮毘羅岩 ---- 舟着山 ---- 踏跡分岐 --(踏み跡)-- 林道に出る --
        11:04 - 11:18           11:42      11:44-12:40    12:49                   13:13
  --(林道舟着山線)-- 林道舟着山線横断地点 --(尾根上登山道)-- 尾根取付点 --(林道)--
                                  -14:02                          14:23
  -- 新城広域クリーンセンター前 ==== 喫茶店 ==== ヤマナカ ==== 自宅(合計走行距離:51.2km)
      14:36                                                    18:15
【所要時間】4時間50分(含休憩) 登り:1時間58分、下り:1時間56分
【標高差】約370m
【天 候】曇 24℃(舟着山頂上)、25℃(帰宅時)
 9月23日12時新城の気象庁データ:気温25.3℃、風向:南西、風速3m/s
【人 数】3人
【地 図】1:25,000地形図 三河富岡(みかわとみおか) 平成元年修正測量
     奥村氏作成絵地図「舟着山」
【スタイル】ミズノ ウォーキングシューズ "FREEWALK"、薄手ショートソックス、眼鏡、ウェストバッグ、
 mont bellズボン(中国製 ナイロン100%)、綿100%半袖Tシャツ(USA製)、MILLETザック、
 腕時計(CASIO TWIN SENSOR)、デジタルカメラ:MINOLTA DiMAGE7(首に下げて歩く)
【所持飲料】サントリー伊右衛門焙じ茶500ml(完飲)、サントリーDAKARA 500ml(約350ml飲む)、
      サントリー伊右衛門500ml(飲まず)
 3人でどこかに行こうという話をメールでしていて、私はまだ行ったことがなく、他のメンバーなら行ったことがあるのではないかと思った舟着山を提案してみると、誰も行っていないという。案内してもらおうという腹積もりは当てが外れたが、行き先はすんなり舟着山で決まった。

 前日の金曜日は、台風14号の影響か一時雨が降っていたが、翌朝は曇ながら比較的明るい。

 豊橋からの二人とR151沿いで待ち合わせ、私の車で出発。R151から新城(しんしろ)市内に入り、弁天橋で豊川(とよがわ)を渡って県道69号線で豊川左岸を走る。この県道は別所街道といい、豊橋から東栄町までの街道で、東栄町を昔、別所と言ったそうである。

 新城広域クリーンセンター前から右へ未舗装の林道が上がっているので、そこに入ってみるが、わだちが深く、すぐに引き返して、結局、クリーンセンター前の路肩の邪魔にならないだろうところに駐車する。路肩にはヒガンバナが咲いていた。今日は彼岸の中日である。

 Kさんは登山靴、Sさんは地下足袋に脚袢、私はウォーキングシューズと三者三様である。林道に入ると、アレチヌスビトハギやキツネノマゴなどがたくさん咲いていた。キツネノマゴは最初のうちだけ白花が多くあったが、除草剤の影響だろうか。左に堰堤を見る。この川は樋田川というらしい。アレチヌスビトハギの種子をズボンにたくさんくっつけながら歩く。左に塩沢滝の入沢不動明王を見る。樋田川は滝の入沢とも言うようである。1575年(天正3年)の長篠の戦いで、徳川方の設楽越中守貞通(したらえっちゅうのかみさだみち)が、武田軍の逃亡兵を迎撃、殲滅させる目的で陣を構えたのがこの樋田川なのだそうだ。貞通はその後、1596年の朝鮮出兵で死亡したそうである。



「塩沢滝の入沢不動明王」の幟



不動明王

 尾根への取付に小さな表示があったが、登りは沢沿いルートをとるため、そのまま沢沿いの林道を進むことにする。沢沿いの脇は田んぼだったようで、段々になっている。かなり奥まである。ヒガンバナも花を咲かせている。平成元年修正測量の地形図にも田の記号が入っているが、木の成長具合からして、もう何十年も経っていると思われる。樋田川の名の由来もこの田んぼにあるのだろうか。



以前の棚田には植林された樹木が育っている

 知らない間に林道はなくなり、踏み跡となった。踏み跡は左に曲がっているが登らず巻いている様子。沢沿いにもわずかに踏み跡があり、Sさんがそちらにどんどん進んでしまう。どうもおかしいと奥村氏の絵地図を見てみると、どうやら沢の分岐があり、左の沢沿いに行かなければならないところを、右の沢沿いに延びている踏み跡を進んでいるだろうことに気づいた。Sさんを戻らせ、明瞭な踏み跡沿いに左の沢に向かって進む。奥村氏の絵地図では、踏み跡はずっと沢の右岸沿いを行っているように書かれているが、そのような踏み跡はもうなくなっているのか、それとも単に気づかなかっただけなのか、いずれにしても右に分岐した沢の右岸を進む踏み跡に入ってしまったようだ。

 沢を難なく横断し、右岸沿いに進むようになると、小さな作業小屋もあった。扉を少し開けてみたが、中にはほとんど何も置かれていないようで、コオロギだろうか虫がたくさん跳び跳ねていた。



沢の右岸にある小さな作業小屋

 沢から離れてすぐ踏み跡は左右に分かれているが、表示があり、左方の斜面を登っていくと程なく尾根道と合流した。尾根に上がらず右へ行く踏み跡はひょっとしたら『こんなに楽しい愛知の100山』(風媒社)に記載のあるルートかもしれないと本を見ながら思ったがはっきりしない。すぐ先で消えている雰囲気もあった。

 尾根に出てから尾根伝いに登っていくと林道舟着山線に出た。奥村氏の地図では林道終点となっているが、現在は、さらに右の方へどこまでかわからないが延びていた。ここで休憩。ローソンで買ったおにぎりを1つ食べる。



林道舟着山線を横断

 林道からの登り口はすぐ目の前。ただ、草に覆われていたり、急登の階段だったりで目立たない。わずかに左に行って取り付く。萩が咲いている。



林道からの登り口

 しばらく登ると、宮毘羅(くびら)岩があった。右側からでも左側からでも登れ、すぐに合流する。宮毘羅とは、コンピラと同義だという。金毘羅さまは航海の安全を守る神であり、舟着山に相応しいといえるかもしれない。山名の由来は、山麓の豊川河畔の日吉に舟着場があったことによるようですが、もう1つの説として、大水のときに、この山に舟を着けて難を逃れたとのこと。だから、読みも「ふなつけ」が正しいと。山麓の地名も「舟着(ふなつけ)」のようです。



宮毘羅岩手前を登る(左奥が宮毘羅岩)



宮毘羅岩を見上げる

 宮毘羅岩のすぐ上が舟着山の頂上だった。ど真ん中に三角点があり、ベンチもあった。ノートがあり、見ると、ちょくちょく登られているようである。今日は誰もいない。



三等三角点



山頂にはベンチやポストもある

 常寒山方面へはしっかりした踏み跡があり、吉川方面へも踏み跡があった。長篠の戦いのとき、織田・徳川連合軍の酒井忠次が塩沢から大入川沿いに吉川へ入り、ここから松山峠(舟着山と常寒山の間)を越えて、武田方の陣地を壊滅させた「鳶ヶ巣山の奇襲」があったという。ここに大久保平助(後の彦左衛門)も参加していたそうである。この奇襲が設楽原の戦いを勝利に導いた一因であるという。
 のんびり昼食をとり、周辺の花を見ようと近づくと、マムシがいた。ゆっくりと移動し、見えないところに隠れてしまった。

 下りはまず来た道を戻る。宮毘羅岩には目立たずお地蔵さんもいた。瓦が落ちているということは以前には大きな祠か東屋でもあったのだろうか。右下方面へ踏み跡もあったが、市川集落かどこかへ通じているのだろうか、気になる道である。いつか訪ねてみたい。



宮毘羅岩の脇に目立たずある石仏



宮毘羅岩付近(市川への下り口?)には瓦が散乱していた。

 さらに下り、標高360m付近から、右にあるわずかな踏み跡に入る。奥村氏の地図にある細い破線がこれだろう。ただ、最初のうち、踏み跡ははっきりしない。コンパスで方向を確認し、それらしい方向へほとんど高度を下げずにトラヴァースするように進む。するとそのうちはっきりした踏み跡となり、下りにかかった。林道に出る手前は沢沿いになり、林道が見えてからすぐには下りられず、左へ巻いていき、林道に合流した。

 林道は何度もカーブし、なかなか登りに通った林道横断地点に着かない。でも見逃すはずはないので安心して進む。林道沿いには何本も桜の植樹が行われているようだった。立派な林道名の表示もあったが、何の意味があるのか、単なる税金の消化のように見えてしまう。



林道舟着山線を歩く



車のほとんど通らない林道に立派な看板?

 また、登りと同じ場所で休憩し、尾根道の下りに入る。登ってきた分岐を過ぎ、そのまま尾根を末端まで下り、林道に合流した。

 駐車場所に着いて、まずはアレチヌスビトハギの種子を取る作業に追われた。新城市内で喫茶店に寄り、長話。奥村氏は設計者だったから、絵地図も精緻なのだという話から、じつはSさんも、戦時中、愛知時計で人間魚雷の設計を担当していたという話になり、空襲があったときには間一髪、警報により逃げることができたのだという。Sさんは寮のあった港方面へ逃げたが、白鳥方面へ逃げていたらだめだったろうとのこと。また、設計担当者はすぐに逃げ出せたから良かったのだそうである。本土で初めて使用されたという高性能2トン爆弾により、6階建ての建物は地下まで破壊されたそうである。昭和20年6月9日に行われたこの空襲は熱田空襲という名がついているようで、全体で2000人以上の死者が出たのだという。この工場がなくなったため、多くの人は豊川海軍工廠に移動したそうで、2ヶ月後の8月7日、同工廠が爆撃を受け、壊滅したという。Sさんは名古屋に残っていたのだそうだ。早く出世したいと思ったSさんは陸軍に志願したが、そのときには終戦をむかえていたのだという。

 見かけた動物
 マムシ、アオサギ、ツマグロヒョウモン、モンキアゲハ、モンキチョウ?、サワガニ、ツマグロオオヨコバイ、アオバハゴロモ、ツクツクボウシ(声)、ミンミンゼミ(声)、カマキリsp、アリ

 見かけた花
 ヤブミョウガ、ケツユクサ、ヤブラン、アレチヌスビトハギ、ヌスビトハギ、ミズヒキ、キンミズヒキ、オオバコ、ヒガンバナマツカゼソウ、オトコエシ、キツネノマゴ、ヨモギsp、アザミsp、ハキダメギク、ヤマジノホトトギス、ゲンノショウコ、ツリガネニンジンヌマダイコン、アキノタムラソウ、タマアジサイ、ヤマトウバナ、サワヒヨドリ?、イタドリ、オオイヌタデ?、オトギリソウ、マツヨイグサ、サワヒヨドリ、コセンダングサ?、ウドタラノキ


 【舟着山が紹介されている書籍】

『こんなに楽しい愛知の130山』(風媒社)1999年10月8日第1刷
  今回のルートとほぼ同ルートが紹介されています。

『分県登山ガイド22 愛知県の山』(山と溪谷社)1995年9月25日初版第1刷
  今回の登りルートと同じルートが紹介されています。

『やぶ医者のやぶ山あるき 三河の山々』(毎日新聞名古屋開発)2000年5月発行
  今回のルートとほぼ同ルートが紹介されています。

『こんなに楽しい愛知の100山』(風媒社)1991年5月1日改訂第1刷
  山名の由来、鳶ヶ巣山の奇襲についても解説されています。

『名古屋周辺 続 山旅徹底ガイド 裏木曽/東濃/奥三河』(中日新聞本社)1996年3月6日発行
  吉川からのルートが紹介されています。

『ワンデルングガイド10愛知県の山』(岳洋社)平成4年6月13日2版発行
  吉川からのルートが紹介されています。

『コンサイス日本山名辞典修訂版』(三省堂)1989年9月1日第6刷
  「船着山(ふなつきさん)」になっています。豊川対岸の設楽ヶ原(長篠古戦場)の紹介もあります。

『'96アウトドアData3800東海版』(風媒社)1995年11月20日初版第一刷発行
  山岳の項に滝入沢からのコースが紹介されています。

『愛知県下三河国八名郡地誌略』明治14年1月
  日吉村・吉川村・乗本村の中央に屹立すること、風切山と共に八名郡の高山であることの記述があります。

★山名いろいろ
 この山は、出版物により、漢字と読みが様々です。おもしろいので一覧にします。

『愛知県下三河国八名郡地誌略』(1881年)      舟着山
『コンサイス日本山名辞典修訂版』(1979年修正版)  船着山 ふなつきさん
1:25,000地形図 三河富岡(1990年発行)       船着山
『こんなに楽しい愛知の100山』(1991年改訂版)  舟着山 ふなつき (「ふなつけ」の読みも書かれています)
『こんなに楽しい愛知の130山』(1999年発行)   舟着山 ふなつき
『ワンデルングガイド10愛知県の山』(1992年2版発行) 船着山 ふなつけさん
『分県登山ガイド22 愛知県の山』(1995年発行)    舟着山 ふなつきやま
『'96アウトドアData3800東海版』(1995年発行)    舟着山
『名古屋周辺 続 山旅徹底ガイド』(1996年発行)   船着山 ふなつけやま
『やぶ医者のやぶ山あるき 三河の山々』(2000年発行) 船着山 (旧村名は「舟着村」と書かれています)
 こんな具合ですが、どれが正解なのでしょうか。国土地理院の地形図と、コンサイスの山名辞典が「船着山」なので、信じたくなりますが、地元の地名は「舟着(ふなつけ)」のようなので、私は、「舟着(ふなつけ)」が有力なのかな、と思いますが、地名と山名が必ずしも一緒とも限らないので、これが絶対だとは言い切れません。
 また、「さん」か「やま」かについては、普通、訓読みで統一すれば「やま」なのでしょうが、よく、特に信仰の山などに「さん」を付けることもあるので、何とも言えません。いずれにしても、地元の人たちがどう呼んでいるかがわかれば「読み」については解決するのでしょうが、出版物で、これだけばらばらなのは、困ったことだと思います。もっとも、漢字も読みも何通りもあるのが正解なのかもしれませんが。

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