清滝山・丸山 京極家墓所と北畠具行墓

 清滝山周回後、三重塔もある京極家墓所を訪ね、北畠具行墓から丸山へ斜面を適当に登り、参拝道を柏原へ下り、中山道柏原宿を通って柏原駅まで歩きました。
【山 名】清滝山(きよたきやま)(松明山(たいまつやま))  439m
     丸山(まるやま) 285m
【三角点】三等 点名:大平(おおひら) 438.94m 平成13年5月21日更新
     所在地:滋賀県米原市大字万願寺字大平784番地
【山 域】北近江
【水 系】淀川支流天野川水系
【所在地】滋賀県米原市(2005年2月13日まで坂田郡山東町)柏原・清滝・万願寺・梓河内・柏原
【山行日】2008年12月20日(土曜日)
【行  程】柏原駅から清滝山を左回りに周回後、丸山へ
  ホテルスポーツパルコ ---- JR岐阜駅 ##(JR東海道本線)## 柏原駅 ---- 登山口 ---- 山の神 --
                7:50頃          8:28                    9:01-9:04      9:28        9:52
  -- 清滝山 ---- 送電線巡視路分岐 ---- 調子口 ---- 小ピーク ---- 372.0mピーク ---- 調子口 --
  10:14-10:23      10:26               10:36        10:39         10:41            10:48
  -- 石像入口 ---- 石像 ---- 石像入口 ---- 徳源院 ---- 石像群 ---- 猫居峠 ---- 北畠具行墓 --
                              11:07                    11:41       11:46
  -- 丸山 ---- 柏原仲井町バス停前 ---- 北畠具行卿墓入口 ---- ベンチ(昼食)---- 柏原駅 ##
    12:08       12:20                   12:29                     -12:36     13:05-13:14
  #### 大垣駅(乗換)#### JR岐阜駅 ---- 名鉄岐阜駅 #### ---- 豊川
        13:33-13:40       13:51             14:10           16:00
【山行時間】4時間1分(休憩を含む)
【標高差】約275m
【人  数】1人(単独)
【天  候】晴
     12月20日米原の気象庁データ:平均気温4.6℃、最高気温12.3℃、最低気温-3.6℃、平均風速1.1m/s、
     最大風速3.9m/s、最大風速時の風向:南南東、最大瞬間風速7.2m/s、最大瞬間風速時の風向:西、最多風向:南南東
【地形図】1:25,000 関ヶ原(せきがはら) 昭和56年修正測量
【スタイル】ミズノ ウォーキングシューズ "FREEWALK"、ショートソックス、眼鏡、腕時計(CASIO TWIN SENSOR)、
 綿100%トランクス(中国製)、綿100%水色半袖Tシャツ(Fabric Made In USA、Assembled In Honduras)、
 アクリル70% 毛25% カシミヤ5%長袖チェックシャツ(日本製)、mont bellズボン(中国製 ナイロン100%)、
 綿100%中国製黒色ウィンドブレーカー(途中で脱ぐ)、黒色軽量ザック(RIPEN プチ クロワール J-02100)、
 黒色ウェストバッグ、デジタルカメラ:MINOLTA DiMAGE7(首に下げて歩く)
【所持飲料】ボルヴィック フルーツキス Green Apple 約400ml(完飲)、
 トーイン 一番摘茶入り静岡茶(緑茶)500ml(約150ml飲む)、奥長良川名水 高賀の森水 500ml(飲まず)
◆経緯◆
 岐阜への出張が金曜日で、ついでに宿泊して、翌土曜日にどこかに登ろうと計画しました。さすがに金華山では、面白くもないので、もう少し周辺を考えても、なかなか公共交通機関で行ける適当な山が見当たりません。霊仙山や伊吹山はまず雪があるだろう。持っていってもせいぜい軽アイゼンぐらい。靴は普通の運動靴。

 そして地形図を広げて思いついたのが清滝山。この山は8年前に一度だけ登っていますが(記録)、車で行ったので、柏原駅から歩いても行ける距離だとは、気づいていませんでした。そして前回の心残りは、三重塔を見ていないこと。ならば、最後にじっくり見ようと、前回とは逆回りにしようと決めました。さらに地形図を見ると、北畠具行墓のある小さな山や成菩提院のある小山も目につきます。時間に余裕があれば、寄ってみたいところです。もちろんできればピークハントも。

◆前夜◆
 さて、前夜は、17時少し過ぎに業務を終え、岐阜駅に戻ってまずは夕食をとります。あちこち回りますが、あまり食べたいと思うものがなく、結局、杵屋へ。みそカツ丼定食(\870)を注文しました。コインロッカーで荷物を取り出し、楽天トラベルで予約しておいたホテルスポーツパルコへ。

◆アプローチ◆
 翌朝、朝食をとってから7時50分頃チェックアウトし、JR岐阜駅へ。表通りではなく、静かな裏道を通って駅へ向かいます。駅ビルのミスタードーナツでは、年賀状を書いている人もいます。コインロッカーに不要な荷物を入れます(\400)。ベルマート岐阜というキオスク系列と思われるコンビニでお茶とおにぎり2つを購入します(\373)。柏原までの切符(\570)を購入し、ちょうど米原行の特別快速に乗ることができました。特別快速と言っても岐阜から柏原までは各駅停車。編成としては6両編成の電車に2両が連結された感じの8両編成で、先頭から7両目に乗ります。よって、車両番号は運転台のあるクハ312−312でした。



柏原駅で乗ってきた特別快速を見送る



質素な柏原駅を出る

◆登山口へ◆
 柏原駅で電車を降り、駅舎を出てすぐに右折します。中山道ではなく、地形図の破線を進めば清滝山へ最短で行けそうです。右手に恵比須神社を見て、小川沿いを進み、橋を渡ります。そのまま進むと左には学校があり、校庭では体育の授業をしているようです。土曜でも授業があるんでしたっけ? ひょっとしたら部活でしょうか。ただ、この学校は私の持っている昭和57年発行の地形図には載っていません。その後にできた柏原中学校のようです。ただ柏原にはなく、住所は清滝になるようですが、これは柏原城も清滝にあったのだから不思議なことではないようです。



柏原から清滝山を見る 山頂にある数本の杉の木が黒く目立つ



柏原中学校付近から伊吹山を見る 右の山の端は向山、左の山の端が清滝山



伊吹山のアップ

 道端の草には霜が降りています。そして破線を進んでいると思っていたら、どうやら方向が少し違い、三叉路には出ず、もう少し北で道路に合流しました。南に行って遠回りする道しか地形図上にはありませんが、北に向かっても行けそうです。最悪、ちょっと遠回りすれば、地形図上にも道路が描かれています。



道端の草の霜

 少し北に行くと、左に道路があり、道標もありました。まずはここを左折します。真っ直ぐ行くと徳源院へ行けそうです。でも今日は、北へ向かう予定なので、それらしい道路を途中で右折します(標高168.4m)。左に霊泉寺を見て、そのまま進むと最後の民家となります。登山口の表示がないので、たまたま外に出ていた年配の女性に道を聞きます。すると間違いないとのこと。男性も近くにいて、男性からも詳しく聞きます。ちゃんと登山用の地図も置いてあり、1枚もらいました。現在地は、「下山口」となっています。やはり逆回りが普通のようです。さらに、周辺の小山の名前を聞くと、北畠具行墓のある山を丸山と言うとのこと。確かにばっちりのネーミング。さらに、成菩提院(じょうぼだいいん)のある山の名を聞くと、「この辺りでは向山(むかいやま)と言う」とのこと。名前があるとピークハントの意欲も増します。



「←清滝寺 徳源院 300M」と書かれた道標

◆清滝山登り◆
 さて、山道を進むと、小さな橋を渡った後、墓地への分岐があり、そこを左に折れて登っていきます。上着を脱ぎます。落ち葉の堆積で歩きにくい場所もあります。尾根に出ると、「山の神」という場所があり、丸山を見下ろすことができます。尾根上を西に進みます。右手には樹間越しに伊吹山が見えます。白い部分は全くなく、単に枯れ色を呈しています。山頂部には笠雲が乗っかっています。



落ち葉の積もる小さな橋



「山の神」表示



山の神からの丸山



すっかり葉を落として見通しの利く尾根上のルート



尾根上からの伊吹山

◆清滝山頂上◆
 山頂が近づくとまずはBBCびわ湖放送山東テレビ中継放送局のアンテナが見えてきます。NHK山東テレビ・FM中継放送所のアンテナもあります。テレビ用(ch.49・ch.51)は双ループアンテナ(10W出力・昭和42年運用開始)でFM用(83.1MHz)は八木アンテナ(3W出力・昭和47年運用開始)であるとの説明書きもあります。三角点のある火点場(ひとぼしば)からは、南に黒く覆いかぶさるように見える霊仙山があり、北には伊吹山が聳えています。そんな贅沢な展望が得られるのも、この清滝山が伊吹と霊仙の間にあるからです。三角点の近くには、平成5年に完成したツーカーホン関西 清滝ベースステーション(清滝無線局)の鉄塔(高さ20.0m)もフェンスの中にあります。松明山の別名もあるように、火点場では松明が焚かれたようですが、毎年8月14日、15日には、大松明行事が執り行われ、女性の入山を禁止しているようです。



清滝山頂上到着 右がBBC、左がNHK



山麓からも視認できる杉木立



火点場(ひとぼしば)



三等三角点 大平



黒い霊仙山



伊吹山方面



笠雲のかかる伊吹山

 このように、清滝山は今も昔も通信の重要地点であり、同時に交通の要衝でもあります。清滝山の北麓にはJR東海道本線と東海道新幹線が通り、南麓には東海道と国道21号線、そして名神高速道路が通っています。特にJR東海道本線は清滝山を回りこむように屈曲しています。この屈曲地点は確か列車の撮影ポイントにもなっていたと思います。まだ腹は減っていないし、風も少しあるので、喉を潤すだけで下りにかかります。



手前集落が清滝、中央が柏原 中央右が丸山、中央左が向山 その間を向山麓に沿って東海道本線が走る

◆清滝山下り◆
 途中には、ケーブル用の踏み跡が分岐しています。下りにはやはり落ち葉が堆積し、尻餅をついてしまいました。小ぶりの柿もたくさんなっていますが、自生でしょうか。誰かが落とした種から生えたのかもしれません。枝から一つ採って食べてみます。甘みがありますが、ざらつき感もありました。これを渋みというのでしょうか。まずいという感じはありません。

 もらった地図には、尾根からの下り口である「調子口」の先に破線が描かれていて、小ピークが二つあり、二つ目のピークが、372.0mとなっています。そこまで行ってみることにします。踏み跡はなんとなくありますが、藪っぽい感じです。たまに黄色いペイントが幹に塗られていたりします。ただ、踏み跡はよく見ると、人間のものというようりはイノシシのようです。左右の葉に泥がついているのです。



黄色いペイントと白いビニールテープ

 一つ目の小ピークを過ぎて、二つ目の小ピークのわずか先まで行きます。いずれも何の表示もなく、引き返します。調子口からの下りもイノシシのものと思われる足跡がいくつもあります。

 左に「西国三十三所 那智山 約100m 第一番 青岸渡寺 聖観世音石佛」という道標があります。せっかく下ってきたのに登り返す感じで100mも行かなければならないのか、と、ちょっと迷いますが行ってみます。途中でも引き返そうと思いましたが、時間は余裕があるから、とそのまま進んでみます。するとせいぜい50m程度でしょうか。正面に水場があり、左上の岩の下に石像がありました。明治30年6月のもののようです。



座像 聖如意輪観世音菩薩

 引き返し、少し下っていき、左手にある清滝神社の境内に入ります。徳源院は有名ですが、清瀧神社も1138年の創建とのことで歴史はあるようです。本社の祭神は、孝元天皇、崇神天皇、武内宿禰とのこと。8年前は、ここには寄ったのですが、右手にある徳源院(霊通山清瀧寺)には寄っていなかったのでしょう。入口には雪がわずかに残っていました。「城跡 柏原城遺跡」の石柱も立っています。



清瀧神社本殿



清瀧神社脇に立っている道標

 奥に行くと滋賀県の指定文化財になっている三重塔がちゃんとありました。そして京極家歴代当主のお墓も見ることができました。徳源院は京極氏の菩提寺となっている天台宗(比叡山延暦寺派)のお寺で、1286年に京極氏の初代京極氏信が創建、三重塔は1672年に京極高豊が建立したのだそうです。無人のようですが、拝観料として300円と書いてあったので、缶に入れておきました。



三重塔 昭和48年に滋賀県指定有形文化財に指定されました



三重塔の前はお堀のようになっています



上段には京極家歴代当主の墓18基が並んでいます 一番手前は始祖の氏信の古塔



上段から徳源院境内の一部を見下ろす

 南奥に行くと発掘調査が行われている場所がありました。今日はやっていないようです。その先にも石像があるようで、そこにも寄ることにします。そこを観音山とも言うようです。石像がいくつもある場所がありましたが、見入るようなものでもなさそうで、引き返そうとも思いましたが、その場所から北畠具行墓方面へ抜ける道があるようです。ならばそこを進みましょう。



発掘調査現場



北畠具行墓方面への道標

◆丸山へ◆
 下っていくと、民家があり、女性がいたので、聞いてみます。道を聞き、そちらに進みます。先には二人連れもいました。池があり、それを回り込むように進み、峠への暗い道を進むと、中山道に抜ける猫居峠があり、墓は峠から左に少し回りこんだ先のようです。猫居峠の道は東山道だったそうです。



昭和57年発行の地形図には載っていない「清竜の溜池」

 北畠具行(きたばたけともゆき)とは、誰なのでしょう。私はあまり知りませんでした。てっきり戦国時代の武将かと思ったのですが、鎌倉時代末期の公家でした。後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕計画に加担したが、失敗して柏原で斬られたのだそうです。京極家とも関係があり、第五代京極高氏(道誉)が助命嘆願したそうです。

 墓まで行き、ここから丸山に登れるか偵察します。正面は藪で塞がれています。右の方に少し踏み跡らしきものがありますが、やはり先は藪です。でも、よく覗くと、藪の先はヒノキの植林地で、そこは歩きやすそうです。藪を越えてそこまで行くと藪はほとんどなくなりました。



北畠具行墓

 丸山というだけあって斜面は急です。そしてたまに倒木もあります。ただ、踏み跡はあるのかないのか微妙な感じです。でも登ろうと思えば登れます。ただ、やはり丸山というだけあって、登りは適当に登っても山頂にたどり着けるでしょうが、下りはちょっと方向がそれると大きく場所が変わってしまいます。果たして同じ場所に戻ってこれるでしょうか。そんな不安を抱きながらも、結局登ることにしました。

 そして息を切らしながらも山頂に着きました。ところが驚いたことに、そこには明瞭な踏み跡がありました。そして何か建造するのでしょう。鉄パイプか何かが地面に組んでありました。アンテナか何かでしょうか。そこからは見晴らしも利きます。



丸山から柏原を見下ろす 正面の尾根は霊仙山へと続く滋賀・岐阜県境の稜線

◆丸山下り◆
 踏み跡があるなら、それを利用しない手はありません。踏み跡は都合のいいことに南に延びています。そのまま行けば中山道に出られるでしょう。そしてその方向に少し進むと今度は祠がありました。清滝の人は丸山に道はない、と言っていましたが、それは清滝方面からは道がないというなのことでしょう。柏原からは参拝の道がつけられているようです。



丸山の祠



丸山からの下り

◆中山道◆
 愛宕社に寄って下りきると、中山道に出ました。仲井町集会場があります。そして目の前にはカモン号予約制停留所「柏原仲井町(かしわばらなかいちょう)」と、復元された柏原一里塚もあります。江戸時代には、街道を挟んで北塚と南塚の二つがあり、北塚は現在の仲井町集会場の位置にあり、南塚は、現在の河床の位置にあったそうです。山東町が設置した基準点の表示もあります。一旦西に進み、北畠具行墓への分岐まで行ってみます。丸山に登っていなければここから下ってきたはずの場所です。途中には国土地理院設置の水準点もあります。近くには石のベンチもあり、そこで昼食とします。おにぎり2つ(わかめごはんおにぎり(\100)、直巻チャーハンおにぎり(\126))を食べます。今日は暖かい日で、石のベンチに座っても冷たさを感じません。さすがに何分か長袖シャツだけで休んでいると寒さを感じるようになりますが、また歩き出せば問題ないでしょう。上着は着ずにそのままで歩き出します。



昼食場所からの風景

 中山道を東進し、途中のお寺などにも寄ります。ただ観光客はほとんどおらず、観光バスも1台が通り過ぎたのみです。

◆帰宅◆
 柏原駅に戻ると、ちょうど電車があります。ただ大垣行なので、大垣で豊橋行新快速に乗り換えて、岐阜駅に行きます。コインロッカーから荷物を取り出し、名鉄岐阜駅へ向かいます。名鉄の株主優待で、無料乗車券を持っていたので、それを利用して帰宅しました。

 見かけた植物
 ツルアリドオシ(果実)、フユイチゴ、ショウジョウバカマ、ススキ、コウヤボウキ、リョウブ、アセビ、アベマキ、タカノツメ、ユズリハ、コナラ、ソヨゴ(果実)、アラカシ、ヒサカキ、イヌツゲ、アカマツ、ヒノキ、スギ、サルトリイバラ、シシガシラ、ベニシダ?、ウラジロ、コシダ


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【清滝山が紹介されている書籍】

『分県登山ガイド24滋賀県の山』(山と溪谷社)1998年3月25日第三刷
  柏原駅からのコースが紹介されています。ツツジのカラー写真もあります。
  新版はこちらで購入できます→amazon.co.jp 滋賀県の山 新・分県登山ガイド 楽天ブックス 滋賀県の山 新・分県登山ガイド

『こんなに楽しい岐阜の山旅100コース 美濃[上]』(風媒社)2002年2月20日第1刷
  3枚の白黒写真とともに3ページに渡って紹介されています。

『岐阜の山歩きベスト55コース』(風媒社)1997年7月24日第1刷発行
  麓からの写真と山頂からの写真があります。

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