宮路山 冬の御油尾根

 御油尾根と小油尾根。いずれも私の勝手な命名ですが、この2つを歩き、御油(ごゆ)と小油躑躅(コアブラツツジ)は何か関係があるのだろうか、と想像しました。
 調べてみると、御油という地名は、昔、持統天皇が宮路山に行幸されたときに油を献上したことに由来するそうですが、小油躑躅は、葉の裏に油を塗ったような光沢がある油躑躅に対しての小型の種であり、この木から油が取れるわけではないらしいので、どうやら関係はなさそうです。
 とは言うものの、由来なんて曖昧なもの。じつは、御油の近くにある躑躅で、「御油躑躅」と呼ばれていたものが、いつの間にか「小油躑躅」になったとか???
【山 名】宮路山(みやじさん)(宮道山・宮地山)西峰 361m・東峰、姥山? 190m
【山 域】東三河 三河湾国定公園
【所在地】愛知県宝飯(ほい)郡御津(みと)町・音羽町・豊川市
【山行日】2006年1月22日(日曜日)
【行 程】御油墓園から御油尾根経由宮路山(ドウダントンネルコースから小油尾根周遊)、金野(こんの)道で下山
  自宅 ==== 御油墓園 ---- 日清戦役紀念碑(尾根に出た地点)---- 盛り土 ---- 分岐 ---- 姥山? --
  11:19        11:21       11:29                               11:33       11:44     11:48
  -- 送電線鉄塔 ---- 姥山? ---- 送電線下 ---- 宮路山東峰 ---- 宮路山西峰 --
      11:50          11:53        11:57         12:35          12:40-12:42
  --(ドウダントンネルコース)-- 東屋付近 --(小油尾根)-- 主稜線に出る ---- 宮路山西峰 --
                                                            13:03             13:05
  -- 金野道登山口 ---- 馬頭観音 ---- 灰野坂峠 ---- 観音の泉 ---- 御油墓園 ==(0.4km)== 自宅
      13:24             13:44         13:46         13:57         14:08               14:11
【標高差】約310m
【天 候】晴 4℃(自宅出発時)、6℃(帰宅時) 風あり
 (1月22日13時蒲郡の気象庁データ:気温6.8℃、風速3m/s、風向:西南西)
【地形図】1:25,000 御油(ごゆ) 平成7年修正測量
【スタイル】ミズノ運動靴、PHENIX化繊ズボン、綿100%Tシャツ、混毛長袖シャツ、
      黒色軽量ザック(RIPEN プチ クロワール J-02100)、腕時計(CASIO TWIN SENSOR)、
      デジタルカメラ:MINOLTA DiMAGE7(首に下げて歩く)
【所持飲料】キリン生茶900ml(約100ml飲む)
 御油尾根は6年前の3月に初めて登った(記録)。そのときは地形図を見てその尾根の末端から取り付いた。取り付きは急傾斜が歩きづらかったが、途中で御油墓園の最上部に出た。ここから入れば楽だな、と思った。そして今回はそこから入ることにした。

 朝のんびり起きたので、ブランチとしていつもの朝食より少し多めに150gのそうめんを茹でてしょうゆ味にして食べ出発する。

 御油墓園の道路を歩き、左に膳ノ棚(ぜんのたな)川砂防ダムを見て、上の墓園に入る。墓参りの人もいる。主に左端を上がり、最上部へ。豊橋平野が広がる。ここは豊橋平野の西端。平野を挟んで東端にそびえる弓張山脈もよく見える。この最上部は御油尾根の途中で、すぐ右には「日清戦役紀念碑」などがある。山頂は左へ。



御油墓園からの展望

 少し行くと尾根が広くなったあたりに、石で囲まれた盛り土がある。これは何だろうか、以前から不思議に思っている。昔の何かだろうが、今はヤマモモなどの木も生えている。広い尾根の部分で踏み跡は一瞬曖昧になるが、踏み跡がなくなることはない。

 一つ分岐を過ぎて、次の小ピークの分岐に着く。ゼンリンのサイトなどを見ると、このあたりに「姥山」と書かれてあるが、このピークを指すのだろうか。それともどこかの集落名か。右に宮路山らしきピークが上方に見えたので、右に曲がる。しかし、これは約半年前にも来た中部電力の鉄塔への踏み跡だった。半年前に鉄塔に行って戻ったことは覚えていたが、その分岐は一つ前の分岐だと思ったのだ。右方に見えたピークにまた騙された格好になってしまった。引き返し、小ピークへ。

 左下にトタン屋根の廃れた小屋を見て、尾根を進む。送電線の切り開きに出ると踏み跡がその切り開きを横断している。半年前の夏には藪っぽかったので鉄塔まで登って行ったところである。藪の少ない冬場は、ここで右に行くと宮路山に行けることが過去の記憶からはっきりわかる。このあたりはあまり風がなかった。



半ば藪に埋もれたトタン屋根

 ここまでは過去に三度歩いていたが、この先はさらに回数が多い。心配もなくなり、植物の写真を撮りながらのんびりペースになる。しかし、これが意外に長い。記憶に残っていなかったが、一旦下ったりもする。

 宮道天神社奥之院がある宮路山東峰には誰もいない。天気はいいが、富士山方面は雲か雪山かはっきりとわからない白いものが見える。それに、木が成長しすぎて、視界があまり無い。

 展望の良い西峰は子供づれの家族で賑やか。三河湾は冬の日差しが反射して眩しい。お茶を一口だけ飲んで、一旦反対側に下る。北斜面は風が強く寒い。ドウダントンネルコースを下り、東屋付近で左の薄い踏み跡に入る。そして小油尾根に取り付く。冬場だからもう少し歩きやすいかと思ったけど、意外に枝に邪魔されて、擦り傷などもできる。

 登り返し、再び西峰に出ると、家族連れにさらに人が増えて賑わっていた。休憩せず、そのまま金野道へ急降下。今までの強風が嘘のように、南斜面は無風になる。

 途中で男性一人とすれ違う。金野道では登山口付近で人に会ったことはあったが、途中で人に会ったのは初めてだった。



金野道の登山口



宮路山南麓の道

 道路を左へ進み、灰野坂の峠へ向かう。峠の手前には馬頭観音がある。峠には宮標石。文字は比較的細くはっきり読める。四面にはそれぞれ、「宮(ウ冠がデフォルメされて○のようになっていて、その中に「呂」)」、「界一三」、「御津村大字金野」、「御油?(?の部分は地中に埋まっていて不明。「村」か)」の文字が読める。(※)

 (※)1週間後の1月29日に、愛知アルプス山行記のHoldenさんが、この宮標石を確認され、「御油町」であることがわかりました。御油村が御油町になったのは、明治25年。また、金野村が他の村と合併して御津村になったのが明治22年で、御津町になったのが大正5年ですから、この標石は少なくとも明治25年以降大正5年以前に設置されたことがわかります。ちなみに金野村は、明治9年に灰野村と金割村が合併して誕生したようです。それぞれの村の一字ずつを取ったのでしょうか。(Holdenさんのレポート→宮標石倶楽部

 観音の泉を過ぎて、御油神社に向かうと、右下方に広い駐車場が整備されていた。これも県営東三河ふるさと公園の事業計画の一部なのだろうか?

 見かけた植物
 セイタカアワダチソウ(枯れ)、モチツツジ?(葉)、コウヤボウキ(実)、コアブラツツジ(枯れ)ヤブコウジ(実)ヤマモモ(葉)ネズミモチ(葉)テイカカズラ(葉)フユイチゴ(葉)コシダ(葉)、クロマツ(葉)、アカマツ(葉)、ヒノキ(葉)、カクレミノ(葉)、ハナミョウガ(実)アリドオシ(葉)ヤブニッケイ(幹)モウソウチク(葉)ヤツデ(葉)アオキ(実)


 【宮路山が紹介されている本】

『三河・遠州の超(スーパー)低山ハイキング』(風媒社)2002年5月12日第1刷発行
  名電赤坂駅からのコースが紹介されています。

『こんなに楽しい愛知の130山』(風媒社)1999年10月8日第1刷
  五井山とセットで紹介されています。

『三遠信の山歩き』( 風媒社)1998年7月5日第1刷
  宮路山脈(宮路山・五井山・御堂山・砥神山)縦走として紹介されています。

『やぶ医者のやぶ山あるき 三河の山々』(毎日新聞名古屋開発)2000年5月発行
  五井山・御堂山・砥神山とセットで紹介されています。

『名古屋周辺 続 山旅徹底ガイド 裏木曽/東濃/奥三河』(中日新聞本社)1996年3月6日発行
  五井山とセットで紹介されています。

『ワンデルングガイド10愛知県の山』(岳洋社)平成4年6月13日2版発行
  五井山とセットで紹介されています。

『こんなに楽しい愛知 の100山』(風媒社)1991年5月1日改訂第1刷
  五井山とセットで紹介されています。

『分県登山ガイド22 愛知県の山』(山と溪谷社)1995年9月25日初版第1刷
  五井山とセットで紹介されています。

『新日本山岳誌』(ナカニシヤ出版)2005年11月15日第1版第1刷発行
  五井山の項で紹介されています。御油の名の由来も記されています。

『コンサイス日本山名辞典修訂版』(三省堂)1989年9月1日第6刷
  更級日記の一節が紹介されています。

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