妙高山・火打山 高谷池テント泊

 火打山はハクサンコザクラが、妙高山はテガタチドリが印象的でした。
【山 名】妙高山(みょうこうさん)(越後富士、心岳、越の中山、名香山、明香山、妙光山、妙観音岳) 2454m
     火打山(ひうちやま、ひうちさん)(赤倉山、赤芝山) 2461.8m
     茶臼山 2171m
【三角点】点名:火打山(ひうちやま) 2461.77m 三等
      所在地:新潟県妙高市焼ヶ山(国有林93林班い小班)俗称火打山 明治40年5月11日選点
     点名:妙高山(みょうこうさん) 2445.90m 一等
      所在地:新潟県妙高市大字関山(国有林26林班は4小班) 明治25年11月8日選点
【山 域】妙高連峰(頸城アルプス、妙高三山、頸城三山、妙高火山群、妙高山群、頸城山塊、妙高山塊、
          頸城連峰、妙高群峰、頸城山群、頸城五山)
       上信越高原国立公園特別保護地区
【所在地】新潟県妙高市・糸魚川市
【山行日】2007年7月24日(火曜日)〜25日(水曜日)
【行  程】笹ヶ峰から燕温泉へ
7月23日(月)
  豊川 ==(R1)== 音羽蒲郡IC ==== 屏風山PA ==== 駒ヶ岳SA ==== 梓川SA ==== 姨捨SA(夕食)==
  12:22                       13:36-13:42    14:41-14:58  15:43-15:50    16:15-16:46
  == 妙高高原IC (\7,700) == 笹ヶ峰高原(走行距離:362.8km)
      17:30                 18:13
7月24日(火)
  笹ヶ峰高原 ---- 黒沢橋 ---- 十二曲り ---- 富士見平 ---- 高谷池 ---- 分岐 ---- ライチョウ平 --
   5:28          6:26-6:34     7:13        8:06-8:19     9:21-9:50    10:03          -11:39
  -- 火打山 ---- 高谷池(テント泊)
  12:20-12:48    14:27
7月25日(水)
  高谷池 ---- 黒沢池ヒュッテ ---- 大倉乗越 ---- 残雪横断 ---- 長助池分岐 ---- 妙高山 ---- 光善寺池 --
    5:17       6:13 - 6:18         6:41           -7:19       7:21-7:30      8:39-8:55     9:54
  -- 天狗堂 ---- 分岐 ---- 麻平 ---- 燕温泉 ==(妙高高原周遊バス)== 杉野沢温泉 ==(タクシー)==
  10:01-10:10   10:46  11:32-11:48  12:?-14:38?                      15:05?-
  == 笹ヶ峰高原 ==== 信濃町IC ==== 姨捨SA(夕食)==== 恵那峡SA ==== 音羽蒲郡IC (\7,600) ==
     -15:53                             -18:12          -20:29       21:36
  ==(R1)== 豊川(合計走行距離:726.5km)
           21:44
【所要時間】24日:8時間59分、25日:約7時間(いずれも休憩を含む)
【標高差】約1350m
【天  候】24日:快晴 25日:曇時々小雨一時晴れ間あり
  気温:33℃(自宅出発時)、8℃(登山開始時)、13℃(25日4:30)、19℃(麻平)
     19℃(25日笹ヶ峰)、26℃(25日恵那峡SA)、26℃(帰宅時)
  関山の気象庁データ:
   7月24日 平均気温21.1℃、最高気温25.9℃(12:10)、最低気温16.3℃(04:20)、日照時間12.8h、
       平均風速2.0m/s、最大風速4m/s(06:40)、最大風速の風向:南西、最多風向:南南西、降水量:0mm
   7月25日 平均気温22.4℃、最高気温26.1℃(14:40)、最低気温19.7℃(00:30)、日照時間0.0h、
       平均風速1.0m/s、最大風速4m/s(06:40)、最大風速の風向:南西、最多風向:南南西、降水量:9mm
【人 数】1人(単独)
【地 図】1:50,000 山と高原地図 12 妙高・戸隠 1994年版
     1:25,000地形図 妙高山、湯川内、赤倉 (所持せず)
【スタイル】皮登山靴zamberlanフジヤマ、薄手ショートソックス+厚手ショートソックス、
 タオル(黒沢橋以降首にかけて歩く)、眼鏡、ムッシュ アクリル100%グレートランクス(日本製)、
 mont bellズボン(中国製 ナイロン100%)、ウェストバッグ、鈴(途中から)、
 ZEROPOINT(MONTBELL)L.W.エクスペディションパック 65(amazon.co.jp)、
 mont-bellポリエステル100%(ウイックロン)半袖Tシャツ(日本製)、
 MUSSHU長袖シャツ(ポリエステル100%)(富士見平まで)、
 デジタルカメラ:MINOLTA DiMAGE7(首に下げて歩く)、腕時計(CASIO TWIN SENSOR)
【所持飲料】伊藤園 お〜いお茶 濃い味500ml(完飲)、KIRIN ローヤルゼリーのアミノサプリ500ml(完飲)、
  ポッカ キレートレモンウォーター500ml(完飲)、日田天領水(約150ml飲む)、
  森永製菓 ウイダーinゼリー エネルギーイン180g(amazon.co.jp)(25日の下りで完飲)
 以下は高谷池ヒュッテで購入(\300/500ml)
  KIRIN 生茶500ml 2本(完飲)、大塚製薬 ポカリスエット イオンウォーター500ml(完飲)、
  ミネラルウォーターVolvic 500ml(約100ml飲む)
◆出発前◆
 約20年前の学生だった頃、木島平スキー場からだったか、野沢温泉スキー場からだったか、ゲレンデスキーによく出かけていた。スキーで滑りながら外輪山と中央火口丘からなる複式コニーデ型の妙高山を見て、なんて格好いい火山なのだ、いつか登りたいなあと漠然と思っていた。妙高山は阿蘇山や桜島などの巨大カルデラではないが、程よく視野におさまるカルデラ火山であり、私の知る限り、日本で最も見栄えのするカルデラ火山ではないかと思う。

 それから歳月が流れ、2年前に鳥海山へ行ったとき、高速道路で妙高山の東麓を通った。そのときは台風の影響か、妙高山は深いガスの中で、全く見えず。それが却って深山の雰囲気を醸し出していた。高速道路上を走る車もこの辺りは少なく、山奥らしさが感じられた。そんな雰囲気の妙高山へいつか行きたいと思った。そしてこの2年前の思いが忘却の彼方に遠ざかる前に、妙高山を訪れる機会を今回得た。

 しかし、1994年版のエアリアマップでコースタイムを見ると、妙高山に登るには1泊するのが理想に思われた。テント山行は2004年の南アルプス(赤石岳・荒川岳)以来していないし、さらに単独テント山行は2001年の北アルプス(白馬大雪渓〜鑓温泉)以来していない。テント山行から遠ざかり、何となく億劫になっている気がした。ならば小屋泊ならどうかというと、未だに単独山行で有料の山小屋に泊まったことはない。

 ではなぜ今回、思い切ってテント山行を決意したかと、何となくとしか言いようがない。決意などというものはなかった。ボッカトレーニングをしたのも、ゴールデンウィークに北アルプスへ行くつもりで4月に行った宇連山だけで、その北アルプスへも結局行かずじまい。会社の休みがあり、どこも行かないのはリフレッシュもできず、もったいないと思ったのと、行き先は東北まではちょっと遠くそこまでの気合が入らなかったのと、かと言って近すぎない場所で思い当たったのが妙高山だけだったということぐらい。結局、もともとテント山行にそれほど躊躇していたわけでもなかったのでしょう。トレーニング不足は少し気になっていたが、登り始めて見ると、それほどでもなく、4月のボッカがまだ効いていた気がした。

 ところで、妙高山は新潟県の山である。7月16日に発生した「新潟県中越沖地震」から一週間しか経っていない。そんな新潟へ行くのはちょっと気が引ける。妙高は被災地から少し離れていて、実害はないようで、登山道の被害も報告されていないことは「山岳最新情報|登山|ハイキング|山と高原地図web」で見た。しかし、被災地のある新潟に登山しに行くのが気分的にちょっと気が引けるのである。風評被害で観光客が減ったというニュースもあるが、被災地のある県へ行くこと自体に躊躇する観光客もいるのではないだろうか。

 では、いっそのこと災害ボランティアとして被災地に寄るというのはどうかと、少し調べてみると、ボランティア希望者は多く、行っても仕事が少なく、逆にボランティア渋滞による弊害もあり、県外からのボランティアが被災地に入るのをしばらくやめてほしいと柏崎市が自粛要請をしていることがわかった。

 ならばそれほど気にせず登山ができる。風評被害による観光客減少にも貢献できる(お金をあまり落とさない登山客に限ってはそれは当てはまらないか)。あとは余震による被災である。でも登山者はそんなこと気にしない(勝手に決めつけていますが)。妙高は震源や被災地から少し離れているし、一週間経っているからそれほど大きな余震はないだろうという楽観的予測もある。アプローチの車中で聞いたラジオのニュースでも余震は収束方向にあることを言っていた。もっとも余震の方が大きい地震や、震源地から遠い場所の震度が大きかったり、しばらくはないと思われた新潟にまた大きな地震が発生したりと、今までの地震に対する常識を覆す出来事がいくつも起こっていることもあるが。

 出発は23日の昼頃であれば、十分な睡眠時間が取れるだろう。午前中に、妙高市観光協会へ電話して登山道の状況や、交通機関などを問い合わせる。登山道で気になるのは大倉乗越付近の残雪である。7月中はアイゼン・ピッケルが必要との情報をどこかのサイトで見かけたのだ。尋ねてみると、雪渓を歩くのは20mほどでアイゼンもピッケルも不要とのこと。ウェブサイトの情報とかなり違う。ピッケルまで必要と言う情報と何も要らないという情報と。でも出発当日に電話で直接聞いた情報の方が明らかに信頼性はあると思うが、念のため4本爪軽アイゼンは持って行くことにする。2年前の鳥海山でも軽アイゼンを持っていかなかったために、雪渓上をできるだけ避けて歩いたことも記憶に残っているし。

 交通機関としては、燕温泉と笹ヶ峰を結ぶバスなどについて聞いてみた。計画段階で、どこから登ろうかと考えたときに、まずは日帰りで妙高山に登れるかどうかを検討した。燕温泉からか笹ヶ峰からか。燕温泉からのコースタイムは登りだけで4時間5分。笹ヶ峰からは4時間40分。いずれも日帰りとしてはちょっとハード。行けないことはないだろうが、せっかくなら花の写真を撮りながらゆっくり歩きたい。最近、速く歩くことをあまりしなくなったのもある。赤倉登山道は難路になっている。池ノ平登山道はスキー場から登り5時間25分。いずれも候補から外した。もっとも参考にしたエアリアマップは1994年版なので13年前の情報である。現に赤倉登山道は、赤倉観光ホテルのスカイケーブル山頂駅から登山道が整備されていることを後で知った。

 いずれにしても1泊した方が良さそうである。ならば火打山にも登れそうである。ということは、笹ヶ峰が起点となりそうである。しかし、火打山も妙高山もピストンではあじけない。ウェブサイトを見ると、1日目に笹ヶ峰から火打山に登り、高谷池に泊まり、翌日妙高山を越えて燕温泉に下りたレポートがあった。すると燕温泉から笹ヶ峰に戻る交通機関が必要になる。それを聞いてみた。すると、バスは1日に3本で途中で乗り継ぐのだという。ところが、燕温泉発の時刻は、9:08、11:33、14:38とのことで、しかも笹ヶ峰行きのバスに乗るのは、11:33発のバスに乗らないと行けないらしい。これでは、かなり朝早く出ないと難しいだろうし、せっかくの燕温泉にゆっくり浸かることもできないだろう。燕温泉の名は以前から知っていて、いつか訪れてみたいと思っていたところである。そこを温泉に入らず素通りするなんてできそうもない。では、14:38発のバスに乗った場合、タクシーで笹ヶ峰まで行けるかどうかを聞いてみた。すると、高原タクシーを呼んで行けるという。バスを杉野沢で降りれば安上がりになるとまで教えていただいた。その手で行こうと決めた。

◆アプローチ◆
 カーナビによると、妙高高原ICを下りてから笹ヶ峰へ向かう道路の入口はすぐで、途中にコンビニはない。少しそれれば1軒あるが、あてにせず、音羽蒲郡ICに入る前にサンクス音羽店に寄ることにする。そこで、山行中の昼食を買っておく。登山開始前の朝食は、途中のSAをあてにすることにする。テント泊のときの夕食は自宅にあったアルファ米と中華丼のレトルトを持って行く。朝食の具は、やはり自宅にあっためかぶスープを1袋持って行く。

 自宅を昼に出発し、すぐに音羽町赤坂のサンクスで買出し。おにぎり3つ、ロールパン、ゆで卵などを購入。音羽蒲郡ICから高速にのり、いつもの恵那峡SAまで行かず、その手前の屏風山PAで一旦休憩。その後は各サービスエリアでこまめに休憩しながら走る。そして姨捨SAで少し早い夕食とする。レストランには入らずスナックコーナーでソースカツ丼を食べる。また、今までのSAでは明日の朝食としたいものがなかったが、結局最後のSAとなる姨捨で寿司詰合せ(だいこく食品)(\420)を買う。巻き寿司と稲荷寿司の詰め合わせであまりそそられないが仕方ない。



姨捨サービスエリアから千曲川と善光寺平(長野盆地)を展望

 妙高高原ICを下りてそのまま笹ヶ峰へ登る県道39号線(妙高高原公園線)へ。登山口は駐車場になっていて、車が数台とまっていた。ただトイレはない。もう一つの駐車場が左奥にあり、そこは広くトイレもある。そこに駐車して車中泊することにする。この駐車場はキャンプ場やロッジなどの駐車場にもなっているようだが、駐車車両は少ない。

 まだ明るいが、あまり出歩かず、そのまま薄暗くなる頃にはもう眠くなっていた。やはり長距離運転で自覚のない疲れがたまっているのだろうか。天気は抜群だが、星空を満喫もしないで眠りについた。明るいうちは車内は暑くドアを開けたりしていたが、外は虫もそれなりに多い。ところが夜にはかなり寒くなり何度か目がさめる。仕方なく、靴下を履いたり、フリースを着たり、シュラフカバーをつけたりした。もっともシュラフ自体はかなり薄手の羽毛である。ついでに星空も確認した。また、周囲には車が何台か増えていた。

◆火打山◆
 朝は、隣の車のドアの音で時刻を確認し、起床した。車中で朝食をとる。隣の車は登山口の駐車場へ移動したようである。また、その登山口の駐車場からトイレを使用するために移動してきた車もあるようだ。私も、準備をしてから登山口の駐車場へ移動する。すると結構車が増えていた。私は一番手前の端に駐車した。気温は10℃を下回っていた。寒いはずである。気象庁のデータでも、関山での24日の最低気温が7月6日と並んで7月の最低記録であった。

 長袖シャツを着て、出発。約1時間歩き、黒沢橋で休憩。後ろからも3人パーティが追いついてきた。ここでタオルを出す。「十二曲り」の手前からは硫黄の臭いを感じるようになる。黒沢橋から1時間以上歩き、黒沢池ヒュッテへの分岐である富士見平で休憩。他にも休憩している人たちがいた。本来の富士見平はもう少し上の見晴らしの良い場所らしい。シーチキンマヨおにぎり(\105)を食べる。また、Tシャツ1枚になる。



頑丈そうな黒沢橋



十二曲りの下部からは大雪渓とともに白馬三山が見えた



十二曲りからは槍ヶ岳も見えた



黒沢岳の西側をトラヴァースする登山道から火打山が顔を出した



火打山の左には焼山も並ぶ(中央は影火打)



ドーム状の小型成層火山である焼山をクローズアップ



火打山と高谷池ヒュッテ



高谷池手前からの北アルプス白馬三山方面(白馬岳の右には雪倉岳と朝日岳まで見える)

 高谷池ヒュッテに到着し、すぐに400円を払ってテント泊の申し込みをする。ただ、到着する前にはちょっと悩んだ。まだ10時前である。火打山ピストンしても時間に余裕があるのではないか。黒沢池まで行った方が翌日の行程が楽になるのではないか。ただ、黒沢池のテントサイトがどんなところなのかはわからない。下調べもしていないのだ。それに、黒沢池まではコースタイムで45分としれている。火打山へ空身ピストンした後、またザックを背負って歩くこともないだろう。今日はのんびりしよう。そう決めてから高谷池に到着したのだ。



三角屋根の高谷池ヒュッテ



高谷池と火打山(右)、影火打(中央)、焼山(左)

 時間があるからゆっくりする。小屋の従業員に途中で見かけた花の名を聞いたりする。するとあまり詳しくはなさそうだったが、妙高の花のポケット図鑑を取り出して調べてくれた。結局わからなかったが、あとでその図鑑を買おうかと思った。

 テントサイトは高谷池の湿原から流れ出る水路を越えた湿原脇にある。この水路は水場となっている。テントサイトには今から出発するパーティが片付けをしている程度で、今日の宿泊者はまだいないようである。まあ朝10時前だから当たり前といえば当たり前だが。ならば一番いい場所を取ろうと、一番奥まで行く。しかし湿っぽい。それにちょっと小便臭い。小屋横のトイレまで行かず、テントサイト脇で小用を足す人がいるのだろう。しかし、この小便は滲みて湿原に入り、飲料となる。それを考えると複雑である。この水場はテント泊の人も小屋の人も使っている様子。ただ、飲用の場合は煮沸することになっている。まさか小便が混じっているからというわけではないだろうが。湿っぽいのは我慢して、あまり臭わないところを選んでテントを設営する。そして、ピストンするのに不要なものはテントに入れてザックを軽くしてから出発する。



高谷池の池塘群と高谷池ヒュッテ

 さてここからはじっくり花の写真を撮りながら歩く。空身だし、花も多い。湿原の脇をしばらく歩き、その後はロックガーデンと呼ばれているところを登る。ハクサンコザクラが咲き乱れている。写真を撮る人も多い。登山道は木道が多くロープも張ってある。その先ではハクサンチドリやテガタチドリも少し見かける。天狗の庭の池塘群を越え、さらに登りになると雪渓が現われる。しかし、雪渓の上を歩く箇所はない。ライチョウ平で一旦休憩するが、雷鳥は見えない。



ロックガーデンの木道と正面に火打山



天狗の庭手前の円い池



逆さ火打



天狗の庭から鬼ヶ城方面の岩壁を見る



火打山



天狗の庭の池塘



天狗の庭と火打山



高妻山方面



火打山への登り



雪渓と青空



妙高山(右は外輪山の三田原山)

 コースタイムの1時間20分を大幅にオーバーして休憩込み2時間30分で火打山に着く。そこには絶好の展望が広がっていた。火打山は妙高連峰の最高峰である。白馬岳方面もよく見える。地元の人と話すと、焼山が登山解禁になったことや、金山もお勧めだと教えられる。そんな話をしながらエアリアマップを見ると、その方向に雨飾山があるはずである。しかしガスがかかっているよう。途中まで、雨飾山はそれとは別の山がそうだと思っていた。その山はどうやら高妻山だった。そのうちガスがはれると、雨飾山は小さく目立たない山として見えた。妙高・火打・焼を合わせて妙高三山あるいは頸城(くびき)三山とも呼ばれているらしい。焼山は江戸時代の噴火後、明治・大正には爆発していないが、昭和期に何度か爆発し、昭和49年7月28日の水蒸気爆発では、山頂付近でキャンプをしていた登山者3名が噴石で死亡している。火打山は、東にコニーデ火山の妙高山、西に焼岳と、火山に挟まれているが、火山ではないらしい。海生動物類の化石も発見されているそうである。



火打山から西を見る
 手前の明るい緑の絨毯が影火打、右に焼山、中央に小さく雨飾山、
 左に金山・天狗原山、遠景は白馬以北の北アルプス



朝日岳を背景に雨飾山が小さく見える



雨飾山をクローズアップ



雲間の焼山

 影火打あたりまで行こうかとも考えていたが、実際に低い場所に影火打を見ると、わざわざそこまで行こうという気はなくなってしまった。暑さのせいもあるかもしれないが。山頂からは焼山から影火打に向かって稜線を歩いているパーティが見えた。

 復路も写真を撮りながら歩く。それにしても暑い。花もどことなく元気がない。コースタイムの60分よりも39分オーバーして高谷池に戻る。テント泊をここにしてよかった。小屋でビール1缶(Asahiスーパードライ350ml \500)、PETボトル4本、そして『花かおる妙高高原』(ほおずき書籍)(\1,050)を購入する。小屋の人にそんなにPETボトルを買うの?というような顔をされる。水を煮沸させて翌日の飲料にするのが面倒なのと、真水よりは味つきの方が好きだからなのだが、あまりこういう人はいないのだろうか。1本300円もするからもったいないと思ったのだろうか。でも小屋泊まりすることと比べれば安い買い物である。それとも貴重な飲料を一人でそんなに持っていかないでほしいという気持ちがあるのだろうか。いずれにしても、空ボトルは引き取らないからちゃんと自分で持って下山してくださいと念を押される。そんなに念を押さなくても、空ボトルなんか軽いものだし、潰せば嵩ばらないので気にもならない。

 今日は梅雨も明けたのではないかというほどの晴天で、気象庁データによると関山での日照時間も12.8時間と7月の断トツである。ちなみに次に日照時間の長かった日は、7月5日で6.9時間であった。しかしこの晴天は、もう次の日にはなくなっていた。

 テントに戻り、ビールをごくごく飲む。テントの中は暑いので外に腰を下ろす。テントは他に2張り。みんな単独の男性である。一人は三重からという。鈴鹿などにもよく出かけているという。今日は燕温泉から登ってきて、明日は焼山を目指すそうだ。もう一人は東京からでやはり燕温泉から。二人とも妙高は初めてではないようで、そういう人たちは笹ヶ峰派でなく燕温泉派になるのだろうか。しばらくして酔いが回ってきた。

 酔いのせいで、夕食を少し遅くし、しかも量も少し減らす。アルファ米白飯(尾西食品)1袋(2食分)なので、残ってしまうが仕方ない。ご飯にレトルト(グリコDONBURI亭中華丼)をかけて食べる。とてもおいしく、酔いもおさまる。

 今日はなかなか眠れない。暑さで疲れたからか。昨日の寒さを体験したので今日は最初から着込む。フリースの上にカッパまで着てシュラフに入る。シュラフカバーもちゃんと持ってきた。しかし、今日は意外に寒くならない。

◆妙高山◆
 そして朝方3時半頃、雨が降ってきた。すぐにやんだが、起きるのが億劫になってしまう。隣のテントが起きだしてようやく4時ちょうどに自分も起きる。朝食は、アルファ米にめかぶスープ(マルちゃん 素材のチカラ)を入れてお湯をかけるだけ。またこれがおいしい。私のテント泊のときの定番になっている。スープの種類は卵スープが定番だったが、今回は自宅にあったスープがめかぶスープだけだったので、それにしたまでだったが、卵スープに負けず劣らずおいしかった。

 雨に濡れたテントをたたんで、東京の人と三重の人に挨拶して、先に5時ちょうどにテン場を出発する。ヒュッテ横のトイレに寄った後、Tシャツ1枚になる。10℃以上あり寒くないのだ。ただ、雨に濡れた笹などにより、ズボンは結構濡れる。黒沢池との中間に茶臼山があるが、ピークには気付かず通り過ぎた。巻いたのだろうか。



朝の高谷池



黒沢池と妙高山



黒沢池ヒュッテへ

 登山道には誰もいないが、黒沢池ヒュッテに着いても発電機の音だけで誰も見えなかった。ちょうど朝食の時間だったのだろうか。テントサイトは小屋前のスペースなのだろうか、1張りもない。大倉乗越に向かう。「落し文」が多いが、葉はダケカンバだろうか。粘着性のものでしっかり糊付けされていたので開けなかった。

 大倉乗越には雪渓がある。その情報はあったが、具体的にどこにあるのか知らない。最初はなんとなく大倉乗越の手前にあるような早合点をしていた。ところがそれらしいところは全く無く、簡単に乗越に着いた。ここは妙高山の外輪山をまたぐ地点である。



大倉乗越からの妙高山心岳(中央火口丘)



大倉乗越から長助池を俯瞰する

 ここからの下りは急でロープも設置されている。ただ不必要だと思われる場所もあったがひょっとしてここに残雪があれば難しいのかもしれない。ここのことだろうか。しかし残雪は全くない。昨日の暑さで全て融けたのだろうか。ちょっと拍子抜けである。でも、気は抜かないようにする。

 じつはこの頃、新潟県中越沖地震の余震と思われる震度4(M:4.8)の地震が発生していた。ラジオで余震は収束方向であるとのニュースは外れたことになる。妙高付近は震度2だったようだが、私は全く気づかなかった。外輪山の内側の旧火口壁を下っているかトラヴァースしている最も傾斜のある斜面にいたのである。知らぬが仏。もし気づいたら、この周辺の傾斜のある場所を恐る恐る歩かないといけなかったかもしれない。

 そのまま妙高山への登りに転じようとするところに出た。なんとここに雪渓があった。そしてそこは沢になっていて、外輪山と中央火口丘との間の火口原である。雪渓はかなり薄くところどころに穴が開いている。雪渓上を歩けばどこかで踏み抜きそうである。どうしたものか、思案した。手としては、一つは、雪渓上を慎重に、場合によっては四つん這いになって越える。もう一つは、途中まで雪渓の開いた箇所を歩き、中ほどから雪渓に上がって後半のみ雪渓上を歩く。後者の場合の問題としては、うまく雪渓に上がれるかどうかだ。そしてよく観察すると、それができそうである。後者を選択する。軽アイゼンは必要ない。軽アイゼンの要不要の問題ではなく、踏み抜かずにうまく横断できるかどうかが問題なのであった。



雪渓上に踏み跡はあるが、前半(手前)は雪渓の下、後半は雪渓の上を歩いて横断した

 雪渓を横断した少し先に長助池方面(燕新道)への分岐があった。長助池の名は、杉野沢生まれの名ガイド岡田長助からとられている。彼は昭和14年11月に山に入ったまま行方不明のままである。笹ヶ峰から高谷池への火打登山道も彼らが昭和6年に作ったのだという。長助池へは左折するようである。妙高山へは直進かというと、どうもそうではない。そこはサンカヨウが多く繁っていて、花もわずかに残っていた。妙高山へは右の沢を詰めるようである。妙高山まではコースタイムでまだ1時間10分ある。とりあえずここで休憩し、まだ一つ残っていた高菜おにぎり(\110)を食べる。

 さて、今回の山行の最大目的である妙高山への最後の登りが始まる。もう雪渓はクリアした。あとは岩場が待っているのだろうか。外輪山から見たこの登りはかなりの急登に見えた。ところがまず現われたのが雪渓である。またしても薄く沢を覆っている。まさか雪渓が2箇所あるとは思わなかった。ここも慎重にできるだけ雪渓の上を歩かず、雪渓のへりをできるだけ歩く。そのへりの辺りで雪渓が少し沈み込む。踏み抜きというほどではなく、すぐ下に土があったので10cmも沈まなかっただろう。雪渓はこれで終わった。今回の山行での最大の難所をこれでクリアした。2箇所の雪渓は大倉谷から大田切川となり、関川に合流し日本海に注ぐものである。妙高山は関川水系の山である。一方、火打山は関川水系と北面は早川水系となっている。



2つ目の雪渓はルートに沿って延びていた

 岩場というほどのところもなく妙高山のピークに着いた。長助池分岐からコースタイムで1時間10分。実際には1時間9分と始めて僅差ながらコースタイム以下となった。岩場のコースタイムは多めになっているだけのことだろう。驚いたことにその三角点ピークは賑わっていた。高谷池からここまで誰にも会わなかったが、9時前の山頂にこれだけ人がいるとは。人数としては10人弱だったか、パーティとしては2パーティ+単独行者か。一人と話すと大谷ヒュッテに泊まって登ってきたのだという。山頂に着くなり、写真を撮ってあげると、頼みもしないのに言ってくれる。お言葉に甘えて写真におさまる。



撮っていただいた記念写真 手前には一等三角点がある

 一等三角点が埋まっているが、さらに3〜5mほど高い岩の上があり、そこも踏んでおく。ところが後で気づいたが、地形図上には三角点より8mほど高い2454mの地点がある。そのピークは踏んでいないような気がする。そこが最高点だったのだろうか。

 山頂では姨捨SAで買った、ドライブルーベリーやラム酒が入っている「塩崎製パン ブルーベリーそばドラ」(\168)を食べる。それから花の写真を撮る。テガタチドリが満開でニョキニョキと花穂が林立しているのである。周囲には山々も見えるが、ガスが多い。15分ほどの滞在で下山にかかる。

 しばらく下ると、鎖場が現われる。岩を削って階段にしてあるところもある。笈摺(おいずる)岩という場所だろうか。鎖がなければかなりの難所だろう。でもこれだけしっかり整備されていれば、何ら心配ない。火打側の登山道とは大違いである。どうやら妙高山は燕温泉側(赤倉側)が「表」で、火打側は「裏」のようである。



鎖場には岩に掘られた階段も

 雨も降ってきた。でも小雨程度で降ったりやんだり。朝から本降りなら笹ヶ峰への下山も考えていたことを思うと、小雨程度ならありがたいほどである。



光善寺池は登山道脇に地味に存在していた

 こんな天気でもすれ違いに登ってくる人はそこそこいる。中学か高校か、数十人規模の集団登山グループともすれ違う。天狗堂の分岐では、スカイケーブルの存在を知る。でも、予定通り燕温泉目指して下る。できれば下山後に温泉に浸かりたいのである。山頂から天狗堂まではコースタイムで65分。実際には66分とこれまたほぼコースタイム通り。

 「燕登山道」は火口原の北地獄谷に沿って下るが、沢に出て下るのはほんの一瞬である。さらに下ると麻平方面へのルートとの分岐となる。あまり目立たないので、気づかなければそのまま下りそうな場所である。天狗堂からここまでのコースタイムは35分。実際には36分と、またまたほぼコースタイム通り。

 この先、コースタイムはどちらのコースも1時間になっている。今回は、途中に温泉があるかもしれないと思い、麻平経由のコースを選ぶ。沢を横断し、そのコースに入ると若干の登りがあったり、登山道もぐちゃぐちゃの箇所があったりとあまり整備されていないような感じである。どうやらメインのコースではない方を選択したようだ。とは言っても踏み跡はしっかりしている。滑って転ばないように注意して下るのみである。



麻平への登山道から見えた滝は称名滝か

 分岐から麻平までコースタイムは30分だが、46分かかってようやく到着。最後の休憩をする。サンクスで買った「ヤマザキ しっとりロール メープル&マーガリン」(\189)を少し食べる。ツルアリドオシが咲いていて、2つのへそがある実もなっていた。そのうち燕新道から下ってくる女性2人パーティがやってきた。どうやら燕温泉から周回コースで登山したようだ。途中、黒沢池あたりで泊まったのか、それとも日帰りかわからないが、そこそこ健脚のように見えた。

◆下山後◆
 下りきり、妙仙橋という吊橋を渡ると林道になる。下の沢は白濁している。燕温泉の色と同じである。ただ、その近くに「河原の湯」があることには気づかなかった。きっと下から歩いてこれば看板か何かに気づいたのだろう。知らずに歩き、分岐に一人の若者が座っていたので聞いてみた。彼はこれから温泉に入りに行くところだそうで、きっと河原にあるから目立たず気づかなかったのだろうと。その分岐には河原の湯よりも近い「黄金の湯」の看板があったので、そちらに行くことにする。こちらは麻平経由ではないもう一つの登山口にあたるようだ。



北地獄谷の沢は白濁している



妙仙橋と大倉谷方面

 温泉から出て、まずは燕温泉のバス停を探す。燕温泉の名は以前から知っていて、かなりの名湯だろうと思っていたが、意外に小ぢんまりとした温泉街である。坂の両側に旅館などが1箇所に並んでいるに過ぎない。その下部にバス停はあった。出発時刻は最初から調べてあったので、見る必要もないが、1時間以上先であることを確認する。これだけ時間があれば、「河原の湯」へ行ったり、他の温泉に行ったりできるのだが、どうせ着替えもないし、そこまでの元気もない。1箇所入れば十分である。のんびりとバス停で待つことにする。

 しばらくすると、乗車客が集まってきた。先程、「黄金の湯」で会った人もいる。そして妙高からの下山客もいる。バスは関温泉経由JR関山行のバスと、私が乗る妙高高原周遊バス「ぶらっと妙高」がある。妙高市観光協会の「ぶらっと妙高」(頸南バスが運行)は500円で1日中乗り放題のバスである。「黄金の湯」で会った二人もこれで宿泊している赤倉温泉まで行くようである。私はタクシーに乗り継ぐために杉野沢温泉まで。バス待ちをしている間に携帯電話で地元の高原タクシーに電話して、予約をしようとした。そこで、大方の料金も聞いてみる。杉野沢から笹ヶ峰までは3500〜3600円程度で、燕温泉から笹ヶ峰だと7000円程度だという。さすがにこれだけ違うと、やはり当初の予定通り、1時間以上バスを待つことを選びたくなる。燕温泉から笹ヶ峰まで乗ってくれるとありがたい、なんて言われるが、値引き交渉にも応じようとしないので、バスを待つことにする。妙高市観光協会の対応とは雲泥の差である。

 でも、乗車待ちの客の中に、単独女性登山者がいて、しばらく話ができた。相手が、火打山で私を見かけたのを覚えていたらしく話しかけてきたのだ。残念ながら私は、どの人だったか、見かけたような気もするけど、という程度で、多くの登山者の中で、女性の単独行者なんていたかな、という感じしかない。それでも、同じ山に登ったのだから、話はできる。火打山のハクサンコザクラは良かったと私が言うと、彼女は、ハクサンコザクラはもう終わりがけで、ここよりも北アルプスの朝日岳の方がいいという。確かに朝日岳に花が多いという話はよく聞く。ただ、私はまだ行ったことがない。来年の行き先にはそこを候補にしておこう。また、妙高山のテガタチドリは良かったというのは同じであった。彼女も、妙高は初めてではなく、前回は秋に来たそうで、妙高が一番いいのは秋のようである。そして、夏もいいよ、と言われて今回訪れたそうだが、それほどでもなかったというのが率直な感想のようである。確かに、それほど珍しい花が咲いていた訳でもない。私もある程度同感しつつも、でも、たまにしか遠出しない私にとっては十分刺激的な山行であったことに違いはない。この充実感は2年前の鳥海山以来である。

 杉野沢で再びタクシー会社に電話し、タクシーを呼ぶ。笹ヶ峰に着いたときには、また小雨が降っていた。タクシー料金は、\3,860+送迎料\100と問合せより少し高かった。Tシャツの着替えだけして、下る。妙高市関川の昭和シェル石油でガソリンを満タン(34.0L)にする(\5,069)。142円/Lであった。妙高高原ICよりも一つ南の信濃町ICから高速に乗る。高速料金は100円だけ安かった。

 夕食は、姨捨SAのアルピコレストラン姨捨(おばすて)。信州サーモンなどのフレンチ風の限定20食のメニュー(\1,260)がとてもおいしかった。信州サーモンとは、三河の絹姫サーモンみたいなもので、ブラウントラウトとニジマスの掛け合わせである(7月26日の朝日新聞アスパラクラブ「旬の風」欄で紹介されていました)。川魚の臭みがないは絹姫サーモンと同じだが、絹姫サーモンのような絹のようなしっとりした柔らかさは感じられなく、より鮭に近い味でした。でもこのメニューはお勧めです。今まで食べたSAのメニューの中で一番おいしいと感じました。また姨捨SAでは災害援助活動を終えたと思われるどこかの航空自衛隊の隊員たちが何十人か休憩していた。ここからは恵那峡SAまでノンストップ。全く眠気がなかった。

 見かけた動物
 ヒオドシチョウ、アサギマダラ、キセキレイ、ウグイス、カッコウ(声)、キジバト(声)

 見かけた花
 ハクサンコザクラテガタチドリ、ハクサンチドリ、オオバタケシマラン、ヒロハユキザサ?、クルマユリ、ベニバナイチヤクソウ、イワイチョウ、ミヤマツボスミレ?、アラシグサ、ヨツバシオガマ、エゾシオガマ、ヤマオダマキ、ミヤマキンポウゲ、ミヤマキンバイ、コバイケイソウ、ミズバショウ、コイワカガミ、サンカヨウ、キヌガサソウ、ウメバチソウ?、オオバミゾホオズキ、イブキトラノオ、ミツバオウレン、タニギキョウ、モミジカラマツ、ミヤマカラマツ?、クロトウヒレン?、ツマトリソウ、マルバダケブキ、ウサギギク、ミヤマタンポポ?、ヤマハハコ(ヤマホウコ)、ウラジロタデ?、ツクバネソウ、ゴゼンタチバナ、マイヅルソウ、ギンリョウソウ、ズダヤクシュ、ワタスゲ(花後)、ハナニガナ、ミヤマコウゾリナ?、ウツボグサ、ヨツバヒヨドリ、ヤグルマソウ、アカバナ?シモツケソウ、クガイソウ(蕾)、エゾノヨツバムグラ?、シロツメクサ、ツルアリドオシ、アオノツガザクラ、コケモモ、イワハゼ(アカモノ)、ベニバナイチゴ、タニウツギ、ハクサンシャクナゲ、ナナカマド?


 【妙高山・火打山が紹介されている本】

『岳人 No.508(1989年10月号)』(東京新聞出版局)平成元年10月1日発行 P.16-21,23,27-29,50
  「特集/紅葉の頸城と北信の山々」としてカラー写真や文章が載っています。

『岳人 No.531(1991年9月号)』(東京新聞出版局)平成3年9月15日発行 P.10-12,14-16,32-34,42-43,50
  「特集/秋の妙高・戸隠・雨飾山を歩く」としてカラー写真や文章が載っています。

『日本百名山』(朝日文庫)1995年8月20日第8刷
  妙高山、火打山がそれぞれ百名山に選ばれています。

『日本の山1000』(山と溪谷社)1992年12月1日2刷
  「天狗ノ庭からの火打山」、「野尻湖と妙高山」、「三ツ峰からの妙高山」のカラー写真が載っています。

『新日本山岳誌』(ナカニシヤ出版)2005年11月15日第1版第1刷発行
  火打山、妙高山とも山名の由来などが紹介されています。

『コンサイス日本山名辞典修訂版』(三省堂)1989年9月1日第6刷
  火打山、妙高山、妙高連峰、妙高高原、笹ヶ峰高原の項があります。

『花かおる妙高高原』(ほおずき書籍)2004年5月26日発行
  妙高山、火打山に限らず、周辺の花も紹介されています。

中高年のための登山学 登山道で出会える花』(日本放送出版協会)1998年6月16日第1刷発行
  ハクサンコザクラやワタスゲなど、火打山の花が4ページに渡って紹介されています。

『花の百名山』(文春文庫)1996年5月30日第9刷
  火打山のハクサンコザクラが紹介されています。

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