高天神山 戦国時代にタイムトリップ

 法多山参りをした後、城跡のある高天神山に行きました。
【山 名】高天神山(たかてんじんやま)(鶴翁山) 131.8m
【山 域】遠州
【所在地】静岡県掛川市
【山行日】2006年9月9日(土曜日)
【行 程】北麓から
  自宅 ==== 豊川IC ==(東名高速道路)== 袋井IC ==== 法多山尊永寺 ==== 高天神山北麓 ---- 高天神山 --
                                                                             12:52
  -- 高天神山北麓 ==(85.0km)== 自宅(合計走行距離:168.9km)
     14:03                     16:28
【所要時間】1時間11分
【標高差】約60m
【天 候】曇だったか晴だったか? 30℃(帰宅時)
 9月9日13時御前崎の気象庁データ:気温28.4℃、相対湿度82%、風向:南、風速3.7m/s
【人 数】1人(単独)
【地形図】1:25,000 下平川 未所持
【スタイル】ミズノ運動靴、薄手ショートソックス、眼鏡、ジーンズ(中国製)、
 半袖Tシャツ(中国製 綿100%)、黒色軽量ザック(RIPEN プチ クロワール J-02100)、ウェストバッグ、
 腕時計(CASIO TWIN SENSOR)、デジタルカメラ:MINOLTA DiMAGE7(首に下げて歩く)
 今年は5月に尿管結石で痛みが発生し、7月に石が出たかと思ったら、8月に愛鷹連峰で転倒して怪我をし、どうもついていない。少し早いけど、厄かなと。もっとも、偏った食事や運動不足のせいなのでしょうが、厄払いしようかと、そんな話を何人かにしたところ、一人から法多山(はったさん)が有名だよと聞きました。その名はどこかで聞いたような気がしましたが、それが厄除けで有名だとか、どこにあるかなどは知りませんでした。そこで調べてみると、2年近く前に行った小笠山の近くでした。これはちょうどいい。小笠山に寄ろうと。でもそのときから気になっていた高天神山でもいいかもと。

 祈祷時刻は11:30にしたいと、それに間に合うように出発しようとしましたが、ちょっと遅れて、間に合うか微妙な時間になってしまいました。まあ、遅れたら次の12:30でもいいやと思いながらちょっと速めのスピードで運転します。豊川ICからノンストップで袋井ICへ。朝、雲行きがちょっとあやしく傘も持ってきましたが、途中では一時本降りに近いような降りになったりもしました。でもその後は明るくなり、晴れ間も見えるほどに。

 法多山は寺号を尊永寺といい、高野山真言宗に属するようです(http://www.hattasan.or.jp/)。入口もよくわからず一旦通り過ぎてしまいましたが、引き返して入口の一番手前の駐車場に誘導されるままにとめてしまいました。たぶん周辺では一番高い200円を払いました。そこから歩きますが、道も間違えそうになりました。まだ11:30前ですが、本堂まではちょっと距離があるようです。早足で行きますが、最後は石段があります。汗も気にせず登ります。受付で祈祷の申込みをする時には汗だくで、時刻はちょうど11:30頃。3000円を払いました。でも11:30の祈祷でいいようです。本堂に入ったときにはちょうど始まりの合図の最中のようでした。本堂の中は扇風機が回っていて、そのすぐ近くに座りました。時期的にはあまり混んでいないときなのでしょう。10〜20人ほど座っていたと思いますが、スペースには余裕があります。護摩を焚いて名前もよんでもらえました。



法多山尊永寺本堂



仁王門

 お札をもらって下山します。厄除だんごも有名だと聞いていたので、早速、200円で1人前を購入します。これを昼食代わりにして、小笠山方面へ進みます。

 前回登ったときとは反対側になります。山腹を通る県道なので、登山口がどこにあるか知りませんが、歩く距離はしれているでしょう。注意して運転していると左手に入口がありました。でも駐車できるような場所がありません。そのまま進むとまた入口がありました。そこで止まってみましたが、くもの巣がしっかり入口を塞いでいます。駐車スペースもあまりなく、結局、小笠山はあっさり諦めます。そのまま高天神山に向かうことにしました。

 地形図は持っておらず、カーナビだけが頼り。高天神城跡は載っており、そこに延びる道路が1本見えます。そこを目的地に設定して行くことにします。

 目的地に着くと、駐車場や鳥居があり、ここから登っていけるようです。道はしっかりしています。案内板もあります。短パンにはき替えようか、ジャージにしようかと悩みますが、大したことないだろうとジーンズのまま歩くことにします。法多山で石段を登ったときほどは汗もかかないだろうと。しかし今日は暑い。日本海側は特に暑く、富山県秋ヶ島では37℃を超えたそうです。

 見上げる斜面は絶壁です。自然の要塞として相応しい立地条件だとわかります。籠城にはもってこいでしょう。築城は今川氏とのことですが、はっきりしないようです。1513年、今川氏親の重臣福島正成が城主となったことがわかっています。しかし、今川は1560年の桶狭間の戦いで敗れ、その後の衰退、滅亡を機に、当時の城主小笠原長忠は徳川方に与し、家康配下の城になります。

 1571年、武田信玄による遠江侵攻で2万5千とも言われる軍勢により包囲されますが、長忠は籠城して死守します。難攻不落の城として名を轟かせることになります。しかし、1574年の武田勝頼の攻撃によりついに開城しました。

 1581年、家康は、高天神城奪還のため、周囲に小笠山砦など六つの砦を築いて、激しい攻防の末、落城させました。家康は城を全て焼き払い、廃城となったのです。

 武田信玄が攻めてきたときも、徳川家康が攻めてきたときも籠城したようです。「高天神を制する者、遠州を制す」と言われていたように、遠州においては重要な城であったようです。その絶壁には地層がはっきり見えます。つまり土砂でなく、しっかりした岩のようです。この搦手門から登る谷を橘ヶ谷と言うようです。

 三日月井戸を過ぎて尾根に着くと、案内板があり、左右どちらにも行けるようになっています。正面は鹿ヶ谷と名づけられているようです。一城別郭(いちじょうべっかく)タイプの城です。まずは本丸を攻めるために左折します。途中、本丸へはさらに左に曲がるようになっていますが、しっかりした道に従ってまっすぐ進み、最高地点と思われる東峰方向へ行きます。

 元天神社址という場所が最高点でしょうか。隣には御前曲輪跡もあります。三の丸址は少し下のようですが、そこまでは行かないことにします。北東側も絶壁になっていて、眼下の下小笠川方面に茶畑などが見えます。樹木には名前がちゃんと書かれていて勉強になります。結構自然が残されている貴重な場所のようです。タイミンタチバナ、ヤマモモ、ウバメガシなど、やはり暖かい地方に多い樹木の名が目につきます。朝日新聞社の「静岡の自然100選」にも選ばれているようです。



元天神社址にある鳥居と祠



山頂から東方を見る



東麓の茶畑を見下ろす

 本丸の方へ進むと、単独の男性がいました。本丸の周囲には土塁の跡が見られます。的場曲輪跡を通って戻ります。分岐に戻り、反対側の西峰方面への石段を登ります。ここにも鳥居があります。先ほどの男性もそちらに行きます。



本丸跡

 石段を登ったところの脇の東屋に別の男性が休憩していました。少し話すと神奈川から来たらしく、やはり城が好きだという。遠くから来たのだな、と思ったら、「隣の県ですよ」と返事。私が愛知からと答えると、やはり隣だな、と。確かに隣同士には違いない。

 「かな井戸」を覗くと底が見えない。石段の下、左側には西の丸跡がある。ここが唯一の弱点であるようで、天正九年(1581年)、家康が武田側から高天神城を奪還するときに、ここから攻めたのだという。ここから右へも行けるが、まずは正面の石段を上がる。ここに高天神社がある。御祭神は、「高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)」、「天菩毘命(あめのほひのみこと)」、「菅原道眞公(すがはらのみちざねこう)」となっています。神社の左へ行くと堀切を隔てて当時は馬場だった展望台があり、その先は「甚五郎抜け道(犬戻り猿戻り)」と書かれていました。軍監横田甚五郎が本国の武田勝頼に落城の模様を報告するために抜け出た尾根なのだそうです。少しだけ行ってみると、痩せ尾根になっていました。すぐ引き返します。



石段と高天神社



甚五郎抜け道



「日露戦役紀念」の石碑もありました

 石段を降りて、かな井戸まで戻り、西の方へトラヴァースしていきます。途中からは眼下に登ってきた道がよく見えます。つまり下から見た崖の上にあたります。袖曲輪跡、二の丸跡があります。そしてその先にはやはり堀切がいくつもありました。堀切とは、尾根を分断して堀のようにしたもののようで、ここで攻撃を防いだのでしょう。その1つは回り込んで登ることができましたが、その先のものは越えるのは難しそうに見えました。保存状態がいいということでしょうか。堀切を挟んで尾根のこちら側と向こう側。すぐ近くです。この堀切を挟んで攻防があったのでしょうか。戦国時代の攻防が頭に浮かびました。あまりの近い距離に、生々しさすら感じました。



二の丸跡



堀切跡



堀切を隔てた向こう側の尾根を見る



本間八郎三郎氏清(28歳)・丸尾修理亮義清(26歳) 戦死の址
天正2年(1574年)武田勝頼来攻時、鉄砲で撃たれた兄弟指揮官の墓碑で、1737年に後裔により建てられたもの



二の丸跡付近から本丸方面を見る

 最初に会った男性はどこへ行ってしまったのでしょうか。かな井戸まで戻ると、高天神社方面から戻ってきました。甚五郎抜け道を少し辿っていたそうです。私は下山にかかります。



地層が露出している



振り返り見る 右上が二の丸跡

 車での岐路は高速道路ではなく、太平洋岸のR150、R1を通ることにします。まず南下して右手を見ると、今登った高天神山がよく見えます。標高132mという平地にできたこぶのような小山です。これが絶壁に囲まれた自然の要塞だとは気づかないほどです。こちら側にも登り口の看板がありました。甚五郎抜け道の尾根でしょうか。

 途中、さすがに腹が減って、ローソン磐田白羽店で手延べそうめん(\300)などを買って、駐車場で食べました。

 見かけた動物
 ツクツクボウシ、ニホントカゲ

 見かけた花
 ヤブミョウガ、ツユクサ、ヤブランヤハズソウ、ヌスビトハギ


 【高天神山が紹介されている書籍】

『静岡の山城ベスト50を歩く』(サンライズ出版)2009年10月24日初版1刷発行
  4ページにわたり、「高天神城」が紹介されています。一城別郭の「高天神城跡概要図」も載っています。

『コンサイス日本山名辞典修訂版』(三省堂)1989年9月1日第6刷
  戦国時代の城主が記されています。

Wander!地域別季節順

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送