黍生山 追分から周回 所持している地形図で、名前に「山」もつかないマイナーっぽい感じがする「黍生」という山に出かけてみました。
山頂からは意外にも素晴らしい展望が得られました。
往路から黍生山方面の展望
【山 名】黍生(きびゅう)山(黍生) 374.5m 【三角点】三等 点名:追分 【山 域】西三河 【水 系】矢作川支流巴川水系 【所在地】愛知県豊田市(とよたし)近岡町(ちかおかちょう)・井ノ口町(いのくちちょう) 【山行日】2013年3月16日(土曜日・赤口) 【行 程】追分から周回 豊川(9:33)==== 音羽蒲郡IC ==== 豊田勘八IC ====(10:25)ミニストップ ==(11.0km)== (10:45)追分登山口 == ==(駐車場探し 6.0km)==(11:04)追分登山口(11:09)---- (11:15)鉄塔 ----(11:34)水場 -- --(11:51)林道に出る ----(12:04)黍生(12:18)----(12:22)林道に出る ----(12:27)鉄塔 ----(12:39)分岐右折 -- --(12:54)近岡(中)下山口 ----(13:12)追分登山口(13:19)==(10.0km)== 参州楼(14:12)== ==(14:23)サークルK ====(14:58)豊田市美術館(16:11)==(1.2km)==(16:15)イオン ==== 豊田東IC == == 音羽蒲郡IC ====(17:52)豊川(合計走行距離:126.2km) 【山行時間】2時間3分(休憩を含む) 【標高差】約270m 【人 数】2人 【天 候】快晴 気温:11℃(自宅出発時)、14℃(ミニストップ、登山開始時)、 17℃(美術館到着時、イオン到着時)、15℃(帰宅時) 3月16日12時豊田の気象庁データ:気温15.5℃、風速2.6m/s、風向:西北西 【地形図】1:25,000 足助(あすけ)平成11年部分修正測量(所持のみで使用せず) 【スタイル】SIRIO 登山靴 46ATL 27.0(中国製)(2012.07.14 モンタニアで購入)、 ショートソックス(黄土色)\2,100 毛77%・ナイロン22%・ポリウレタン1%(2011.06.26購入)、 PHENIX化繊ズボン(中国製)、EddieBauer中国製半袖Tシャツ(綿100%)、 ユニクロ綿100%トランクス(中国製)、黒色ウェストバッグ、腕時計(CASIO TWIN SENSOR)、 眼鏡、MILLETアタックザック、ユニクロ 綿100%チェック長袖シャツ(中国製)(水場まで)、 エス・ユニーク 中国製立体型不織布マスク(杉花粉対策用)、 「もってこタオル」薄紫色 \1,575 サイズ:約26×96cm 日本製 コットン39%、キュプラ(ベンベルグ)39%、ポリエステル(マイクロファイバー)22%(2012.07.14 モンタニアで購入)、 デジタルカメラ:SONY α350+2.8/100 MACRO(首から提げて歩く) 【所持飲料】カルピス スーパーフルーツ アサイー Water 500ml、 サントリー伊右衛門 贅沢冷茶(緑茶)500ml(飲まず)、 アクエリアス ビタミンガード カロリーオフ500ml(飲まず)豊田市美術館で開催されている「黒田辰秋・田中信行|漆という力」の無料券をもらったので、そこに行くついでに、近くの山に登ろうと考え、まだ登っていない黍生に登ることにしました。前夜は、職場の派遣社員5名が会社都合で退職となるので、その送別会が豊橋駅前のココラフロント1Fにある「Aloha Table HawaiianDiner」であり、それに参加していましたが、2次会には行かず、早めに帰宅しました。
翌朝は、Pascoの「みるくろーる」パンと、3月2日に香月堂アウトレットで買った「いちごとミルクのバウム」を食べてから出発しました。
まずは国道1号線で音羽蒲郡インターへ音羽蒲郡インターから東名高速に乗り、東海環状自動車道の豊田勘八インターで下ります。すぐ近くのミニストップ豊田平戸橋町店で同行者のトイレがてら、おにぎり1個だけ(「こく旨 鶏醤油マヨ」(\105、199kcal))を買います。ちなみにこのおにぎりは豊川市で作られているようです。ちゃんとした昼食は下山後にするつもりです。
追分の交差点を左折して県道に入り、すぐに右に入り、登っていくとダンプがとまっている空き地があり、その先に登山口がありました。ただ、この付近に駐車せず、「多目的広場」に駐車するように表示されていました。
一旦車で戻り、県道を右折し、近所の人に聞いてみると、その場所を知っているようですが、聞いた説明では、あまり場所が特定できません。Uターンし、国道を先に進んでみますが、多目的広場という表示も、それだとはっきりわかる場所もわからず、結局、元の場所に戻り、端の方に駐車しました。そこにはオオイヌノフグリなどが咲いていました。右折する場所に看板がありましたが、車をとめて見る場所がなく、ちょうど作業車もやってきて、しかも他の登山者でしょうか、車がこちらに曲がろうとしていましたので、看板を確認することもできなかったのです。
黍生山頂(黍生城跡)への看板登山口には、杖もいくつか置いてあります。登山道はしっかりしていて迷うこともありません。道標も完備されています。アベマキの落ち葉が多くあります。しばらく行くと竹林になります。
登山口に置かれていた杖
登山口周辺の風景
中部電力の標識も
送電線沿いの坂
送電線鉄塔
こんな雰囲気の場所もありました
道標
樹下の登山道 中部電力奥矢作東部線の標識もありますしばらく登ると沢が出てきて、水場があります。一口の水を飲みます。ここで長袖シャツを脱いで半袖Tシャツ1枚になります。さらにタオルも出します。
沢沿い
岩と水場林道に出ると、正面には登山道らしきものはありません。少し左に向かうと登山道がありました。
林道
林道に出たところの道標
木が伐られているところがありました山頂に着くと先客が1組(2名)。挨拶だけして展望を楽しみます。御嶽が見えます。空気はそれほど澄んでいませんが、雪で白く見えるのでよくわかります。恵那山も見えますが、あまり白くはありません。端の方で腰を下ろし、先ほど買ったおにぎりと翌日が賞味期限になっていた「栗どら焼」などを食べます。なお、山頂の山名表示は、「黍生山」となっていました。
私が持っている平成12年12月1日発行2.5万図では「黍生」となっていますが、2018年7月時点の国土地理院のウェブサイト上の地形図では「黍生山」となっているところをみると、どうやら古い地形図は、「山」をつけ忘れたのではないかと想像します。
黍生城の説明板
「黍生山を愛する会」の「記帳処」がありました
三等三角点「追分」
「黍生山」
山頂の岩下りは山頂の反対側からです。こちらもいい道です。すぐに林道に下り立ちます。道標によると林道をそのまま下ることもできそうです。でも正面に登山道が続いていますので、そこに入ります。少し登り返すことになります。
下り
竹林下っていくと、分岐がありました。正面の尾根道はしっかりした踏み跡もありますが、遠回りになります。右下に折れると落ち葉が堆積し、歩きづらいですが、それでももう里もそんなに遠くはないでしょうし、道標がしっかりあるぐらいなのでなんとかあると思い、そちらへ下る近道を選びました。多少、正道から外れないと面白くありません。
途中にも道標があり、迷うことはありません。しばらくで里に下りることができました。国道に出て、戻ります。ただ、この近道にしても、『こんなに楽しい愛知の130山』(風媒社)のルートに比べると遠回りをしているようです(帰宅後確認しました)。
里が見えました
下山口から振り返る
下山口からの風景
「黍生城跡」への道標
「黍生山登山道入口」の看板
「近岡」名鉄バスのりば
「追分」交差点
県道358号 月原近岡線
井ノ口町側の「黍生山登山道入口」看板咲き出しているかもしれない香嵐渓のカタクリは駐車場が有料のためパスし、足助の街中を車で走って見つけた参州楼という洋食屋に入ります。少し遅い昼食ですが、山頂でおにぎりなどを食べたので問題ありません。1,600円の春御前を食べました。まあまあいいものが御膳に入っていましたが、1,600円は少し高いと感じました。
豊田市内へ向かう途中、クーポンを持っていたので、サークルK豊田野口町店に寄り、オリジナルコーヒー(\130→\100)と、窯出しとろけるプリン(\120→\100)を買いました。
豊田市美術館を訪れるのは初めてです。駐車場が美術館とは少し離れた場所にあります。そこから美術館に向かうと、かなり印象的な建物が目に飛び込んできました。入口もよくわからないような建物で、小さな案内に従って中に入ります。常設展も見られるようです。
拳母城(七州城)復興隅櫓展示してある漆の作品は古いものではないようですが、部屋の大きな空間を利用してその展示方法が独特で、かなり贅沢な展示の仕方です。その展示方法自体が素晴らしく、まるで海の中に浮いているような感覚にとらわれたりしました。他では、なんといっても岸田劉生の「麗子洋装之図(青果持テル)」でしょう。
豊田市美術館周囲の光景
豊田市美術館帰る途中、美術館のすぐ近くにイオン豊田店があったので、そこであさりなどの買い物をしておきました(\2,645)。豊田東インターから高速に乗り、音羽蒲郡インターで下りて帰宅しました。
見かけた動物
テングチョウ
見かけた植物
ヒイラギ、アベマキ、イヌツゲ、オケラ、メリケンカルカヤ、スギ、オオイヌノフグリ(花)、トウゲシバ
【黍生が紹介されている主な書籍など】 『こんなに楽しい愛知の100山』(風媒社)1991年5月1日改訂第1刷 足助七城(足助七屋敷)の一つが黍生だと紹介されています。
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