旗頭山 蛇紋岩で古墳群の小山

 登山の対象とはならない小さな山で、何かのついでにピークハントしようと思いながら、なかなか実現できず、今回、午前中の自然観察会に参加したついでに寄ることができました。



旗頭山からの西蔵(左)と本宮山(右)

【山 名】旗頭山(はたがしらやま)(笠頭山) 97m
【三角点】四等 96.60m(平成15年10月10日改測) 点名:旗頭山(はたがしらやま)
      昭和52年9月12日選点 所在地:愛知県豊川市金沢藤弦31
【山 域】東三河
【水 系】豊川水系(豊川左岸)
【所在地】愛知県豊川市金沢町藤弦・新城市八名井五平治
【山行日】2009年4月12日(日曜日)
【標高差】約50m
【人  数】6人
【天  候】晴
     4月12日13時新城の気象庁データ:気温21.8℃、風速3.5m/s、風向:南
【地形図】1:25,000 新城(しんしろ) 平成8年10月1日発行2刷(所持のみで使用せず)
【スタイル】DUNLOP ウォーキングシューズ(中国製)、眼鏡、ショートソックス、
 mont bellズボン(中国製 ナイロン(バリスパン)100% \6,570)、黒色ウェストバッグ、
 綿55%・ポリエステル30%・レーヨン15%トランクス(中国製)、紺色デイパック、
 綿100%半袖Tシャツ(USA製)、綿100%チェック長袖シャツ(中国製)、腕時計(CASIO TWIN SENSOR)、
 デジタルカメラ:MINOLTA DiMAGE7、SONY α350(いずれも首に下げて歩く)
 午前中は、NPO法人 東三河自然観察会(http://www5c.biglobe.ne.jp/~kajino/)主催の江島での観察会に参加し、その後、旗頭山に行くと言ったら、6名で行くことに。他の何人かはフデリンドウを見に、他の場所へ行きました。

 県道391号を通って登り口に向かいます。踏み跡をたどり、尾根に出ます。蛇紋岩の山なので、背の高い樹木はほとんどなく、古墳群の山ということで整備もされているようで、笹も尾根上にはありません。展望もよく気持ちの良い尾根です。谷を挟んで南側に見える尾根は新緑が目立ちます。



旗頭山から豊橋平野を見る



南側に見える新緑

 ところどころに古墳の表示があり、案内板もあります。約3週間前に行った象鼻山の古墳群(記録)とは大きさも形態も異なっています。ちなみに続けて古墳群の山に登ったのは、なにも古墳に興味が沸いたわけではなく、単なる偶然です。



四等三角点の割には立派 周りの石は付近のものを使用した感じです



山頂の積石塚(つみいしづか)古墳と本宮山

 旗頭山は吉祥山から西に延びる尾根の末端付近にある小ピークです。旗頭山のすぐ東側は採石場になっています。旗頭山が消えなかったのは、古墳があったおかげでしょうか。少し南にある照山がどんどん低くなっているのを見ると、そう思わずにはいられません。

 「旗頭山古墳群」は昭和42年4月1日に当時の一宮町の指定史跡になり、昭和53年5月29日には、「旗頭山尾根古墳群」として24基の古墳が愛知県指定史跡となりました。なお古墳は円墳で、その総数は40基と言います。古墳の年代は6〜7世紀のものだと言います。この時期の古墳群は周辺にも多数ありますが、ここの古墳群の特徴は墳丘を石材で造る積石塚古墳を含むことで、愛知県内では向山古墳群や城山古墳群にも見られるように、東三河の豊川流域のみに分布が知られているそうです。ここでは、山頂に近い6基が積石塚古墳となっています。それより下部の18基も石材と土を併用して墳丘を形成しているようで、積石塚古墳に近い外見を呈しているとのことです。このような積石塚は朝鮮半島に見られ、関連性が議論されているそうですが、直接的な系譜を実証するには至っていないそうです。

 また、1573年(元亀4年)、菅沼定盈の野田城が武田信玄に攻撃されたとき、徳川家康の援軍が浜松から旗頭山まで来たということです。しかし、酒井忠次の諫言を入れて吉田城に引き退き、その後、定盈は信玄に降伏したのでした。

 崩壊の危機にあった26号墳は、桜淵公園の青年の家に移築復元されていて、見学できるそうです。



東側は採石場



南西麓は墓地

 見かけた花
 ヒメハギ、キジムシロ、ニオイタチツボスミレ、スミレ、サルトリイバラ、カラスノエンドウ、ヤマツツジ、ヤマザクラ


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【旗頭山が紹介されている書籍】

『宝飯の植物』(愛知県東三河農林水産事務所)2004年3月10日発行
  植生の紹介のほか、「朝鮮式古墳で知られる」などの記述があります。

『東三河の戦国時代』(鈴木健著)平成14年11月10日初版2刷発行
  家康が菅沼の野田城へ向かい笠頭山(旗頭山)まで来たことが書かれています。

『図説 東三河の歴史 上巻』(郷土出版社)1996年3月18日発行
  「石で築かれた珍しい古墳」として4ページにわたり紹介されています。

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