虎御前山 十二支の山

 前日に天筒山(記録)に登り、その翌日に登りました。
【山 名】虎御前山(とらごぜんやま)(長尾山、虎姫山、八相(やはい)山) 224m
【三角点】三等 202.91m(平成14年10月22日改測) 点名:中野(なかの)
      明治23年3月27日選点 所在地:滋賀県長浜市中野町
【山 域】近江
【水 系】淀川上流姉川水系
【所在地】滋賀県長浜市中野町(2009年12月31日までは東浅井郡虎姫町大字中野)・
     湖北町別所・河毛(かわけ)(2009年12月31日までは東浅井郡湖北町大字別所・河毛)
【山行日】2010年1月14日(木曜日)
【行  程】南麓から
 ニューサンピア敦賀 ==(県225・R8・R476・R8)== 敦賀IC ==(北陸道)== 賤ヶ岳SA ==(北陸道)== 長浜IC ==
              9:13                           9:27                9:54-10:03               10:18
  ==(県37・県276・県273)== 岩上神社鳥居前 ---- 三角点 ---- 虎御前山 ---- 岩上神社鳥居前 ==
                          10:36-10:44        11:09        11:23         12:02-12:11
  ==(県273・県263・県37)== 長浜IC ==(北陸・名神)== 養老SA ==(名神・東名)== 音羽蒲郡IC ==(R1)==
                         12:24                  12:51-13:29                   14:49
  == 豊川(昨日からの合計走行距離:401.2km)
【山行時間】1時間18分
【標高差】約120m
【人  数】1人(単独)
【天  候】曇のち雪
     0℃(ホテル出発時)、−2℃(賤ヶ岳SA)、0℃(登山開始時)、2℃(養老SA)、5℃(帰宅時)
     1月14日虎姫の気象庁データ:平均気温0.4℃、最高気温2.5℃、最低気温-1.5℃、
     湿度%、平均風速4.1m/s、最大瞬間風速14.2m/s、最多風向:西、日照時間:4.5h
【地形図】1:25,000 虎御前山(とらごぜんやま) 平成18年4月1日発行1刷
【スタイル】冬用皮登山靴(LOWA ALPIN)、厚手ショートソックス、MILLETアタックザック、黒色ウェストバッグ、
 PHENIX化繊ズボン(中国製)、ウール赤色手袋(左手のみはめる)、腕時計(CASIO TWIN SENSOR)、眼鏡、
 綿100%トランクス(中国製)、DUNLOPグレー半袖Tシャツ(日本製 ポリエステル(ダクロンQD)70%・綿30%)、
 アクリル70% 毛25% カシミヤ5%長袖チェックシャツ(日本製)、MattenBell GORE-TEX緑色ヤッケ(上)、
 デジタルカメラ:MINOLTA DiMAGE7、SONY α350(楽天市場)(いずれも首に下げて歩く)
【所持飲料】白湯470ml(飲まず)
 虎御前山に登ろうと考えたのは、敦賀に行くついでに、途中でどこか簡単に登れる山はないかと思ったからです。最初は小谷山を考えました。ところが、『名古屋周辺の山200』(山と溪谷社)を見ると、意外と時間がかかるようで、登山口から往復4時間となっています。ついでに登る山としては時間がかかりすぎです。もちろん、無雪期なら4時間でも可能でしょうが、積雪があればそれ以上を覚悟しなければなりません。小谷山をあきらめるとなると、近くの虎御前山が目につきます。しかし、これはあまりにも簡単そうです。他にどこかないかと検討しましたが、ちょっと待てよ、今年の干支は虎だから、干支の山にあたるな、と。今年は、初日の出登山はしなかったので、代わりに干支の山もいいな、なんて思ったりもしました。それに干支の山なら、きっと登山者もいるだろうし、踏み跡も期待できます。今まで干支の山なんて、わざわざ行ったことはありませんが、たまにはこういうのもいいでしょう。ちなみに過去、「虎」のつく山に登ったのには、「虎子山」があります。

 虎御前山は、2009年までは、虎姫町と湖北町にまたがってありましたが、2010年1月1日に、高月町、木之本町、余呉町、西浅井町を含めた6町が一緒に長浜市に編入されました。虎姫町を除く5町の名は住所に残りますが、虎姫町の名だけは消滅したようです。ユニークな名が消えるのは寂しいものです。JR西日本北陸本線の駅名などには虎姫の名は残っていますが。もちろん、虎御前山の名も、虎御前つまり虎姫のことです。この虎姫とは、「世々開長者(せせらぎちょうじゃ)と虎御前姫の伝説」によるもので、二人が結婚して生まれた子が、顔は人間だが体が蛇という15人で、虎御前がこれを嘆き悲しんで深い淵に身投げしたというものだそうです。

 宿泊先のニューサンピア敦賀で朝起きると、外は予報通りの雪。これじゃ、登ってもおもしろくないな、昨日も低山ながら1つ登ったし、という気持ちでした。

 チェックアウトし、駐車場の車を見ると真っ白。このままドアを開けると雪が席に落下するので、まずはドアの境目の雪を綺麗に素手で退けてから後部と運転席のドアを開けました。そして、手持ちの三角形の雪かき用へらを出して車の除雪作業を始めました。すると、隣に駐車してエンジンをかけていた子連れの女性が、柄付きの雪かきブラシを貸してくれると言います。その言葉に甘えて使わせてもらいます。するとあっという間に除雪できました。前回、ゴールデンウィークに来たときは、野坂山で声をかけられ、車に乗せてもらったりしたし、敦賀の人のイメージは上がる一方です。

 しばらくして思ったことですが、敦賀と言えば、ロシア革命時、ロシアからの数千人という難民を受け入れた土地です。さらに、当時のリトアニア大使であった杉原千畝が発給した「命のビザ」によるユダヤ人を受け入れたのも敦賀です。敦賀の人たちは、彼らに対し親切に接したとのことです。人道的な精神が敦賀の人たちに受け継がれているのかもしれません。

 気温はそれほど低くなく、0℃。道路も除雪用の水が出ている箇所が多く、運転にそれほど苦労しません。しかし敦賀インターより北は通行止めで、閉鎖されています。さらにインターの入口で止められ、行き先の確認もされました。高速に乗ると、完全な雪道です。車線などわかりませんが、ちゃんと2車線あり、速い車は追越車線で追い越していきます。私は往路同様時速50km程度で慎重な運転をします。走行車線はだいたいそれぐらいのスピードの車です。

 こんな調子で雪も降っていたので、木之本インターは素通りします。ところがその先、しばらく行くと、急に雪が小降りになり、なんと青空すら見えてきました。となれば、虎御前山へ登りたくなってきます。少し戻ることになりますが、長浜インターで下りて、南麓へ向かいます。高速料金は平日昼間割引で\1,100のところ\350引きで\750です。この辺り、高速もそうですが、道路には全く雪がありません。冬型ですが、日本海側だけであまり南の方は雪に見舞われてはいないようです。帰宅後、知りましたが、今回の冬型は、北西の風ではなく、西の風とのことでした。

 近くまで行くと、標識も出ています。最後は、狭い道を入ります。矢合神社かと思ったら、岩上神社の鳥居がありました。ホテルを出発してからここまで54.0km。休憩を含め1時間23分かかりました。

 行く方向は神社の方に登っていくか、車道をそのまま詰めるか、地形図で確認します。確か三角点までは車道を行けばいいはず、と地形図を見ると、車道が2本あり、帰りは神社の方から下りてこられそうです。まずは車道を詰めます。踏み跡もあります。



まずは車道を登ります

 そして車道の合流地点に出ます。キャンプ場になっているようで、施設があります。さらに施設を巻くように車道を進み、尾根に出ます。途中からは竹生島がよく見えました。ここは広場になっていて、車道はゲートで閉ざされています。歩行者は通り抜けられます。



琵琶湖で二番目に大きい竹生島が見えたのはこのときだけ



虎姫無線中継所へ

 シジュウカラの集団がいます。NTTドコモ「虎姫無線中継所」のアンテナがあり、ここで車道は終わりです。確かこの辺りに三角点があるはず。すぐ先の高みでしょうか。少し進むとしっかりと踏み跡の分岐がありました。踏み跡はかなりしっかりしていて、10人以上は通っていそうです。先日の三連休に歩いたのでしょうか。溝状になっています。ただ雪は硬く、溝状の部分は滑りやすい状態です。かといって溝から外れると、踏み抜いてとても歩きにくい状態です。やはり十二支の山ということで、団体で登ったのでしょうか。

 まずは三角点に寄ります。三角点はしっかり露出していますが、これは先客の団体がちゃんと掘り出したためでしょうか。引き返して山頂へ向かいます。



露出して見つけやすかった三等三角点「中野」



しっかりした山頂へのトレース



虎御前山ハイキングコースは虎姫駅と河毛駅を結ぶルートとなっています

 途中のピークには「堀 秀政陣地」とあります。下は雪に埋まっていて、文字が続くかどうかはわかりません。キヅタが巻きついた木々がある場所を通過し、虎御前山の頂上となります。ここは「伝 織田信長砦跡」となっています。1570年の姉川合戦で敗れた北近江の浅井長政が小谷山(おだにやま)に篭城し、信長がこれに対峙し、1572年に虎御前山に砦を構えました。1573年、浅井氏の援軍として参戦した朝倉義景を信長が追って、越前まで攻めた一乗谷城の戦いのとき、羽柴藤吉郎(豊臣秀吉)を虎御前山に城番として残しました。朝倉義景は自害に追い込まれ滅亡しました。虎御前山に引き返した後、小谷城を攻め、浅井長政を自害に追い込みました。もちろん今は砦はありません。小谷城落城の後、すぐに取り壊されたそうです。小谷山は、虎御前山の北北東、北陸自動車道と国道365号線を挟んだすぐ先にあります。



コース中、最も急傾斜だった場所は土が露出しています



雪に埋もれた「堀 秀政陣地」の石柱



キヅタ群落



伝織田信長砦跡の虎御前山ピーク

 樹間から少し展望がありますが、降雪で遠望は利きません。晴れ間もあった天気はすぐに降雪にかわってしまったのです。竹生島も先ほど見たっきり全く見えなくなってしまいました。

 ピークから先にも、JR河毛(かわけ)駅方面へ道があるようです。今回のルートはネットで調べて最初に目についたルートをそのまま踏襲したのでした。でも、わかっていても、今回のルートにしたかもしれません。こんな小さな山、ある程度歩かないと登った気もしないかもしれません。ただ、悪天候なら、最短ルートを選択していたかもしれません。元々、ネットで調べたのは、登山道があるかどうかもわからなかったので、それを確認するためでした。だから、ルートが1つあれば、それで事足りたわけです。

 引き返して、車道の分岐からは尾根を登ります。ここに展望台らしきものがありました。往路でここに寄っていれば、ひょっとして琵琶湖など、展望が得られたかもしれません。残念ながら今は降雪に閉ざされて何も見えないため、ここに登らず、スルーします。



踏み跡を戻ります



雪が降ってきました

 尾根の先には神社がありました。登山口で鳥居を見た岩上神社ではなく、これが矢合神社でした。由緒によると、古くは「八相社」または「八相大明神」と言い、鎮座するこの一帯の山を「八相山」というそうです。祭神は葦の生える水辺を司る「葦那陀迦神(あしなだかのかみ)」で、名義は「(邪気を払う植物である)葦の丈が高いこと」とのこと。大国主神(おおくにぬしのかみ)の妹で、八河江比売神(やかわえひめのかみ)とも言うそうです。小額の賽銭をしてお参りします。初詣は、会社の昼休みに散歩で見つけた住吉神社で、今回が今年賽銭した2箇所目です。



ツララが垂れ下がる矢合神社本殿



矢合神社拝殿



矢合神社のマークは矢が合っている

 ここから下ると岩上神社がありました。そして車に戻りました。さて、もう十分楽しめたので、これ以上どこかに寄ることはしなくても良さそうです。ただ、朝、名神高速は渋滞しているようなことを言っていた気がします。今はどうでしょう。カーナビのVICS表示で確認すると、米原から東に渋滞表示はありません。ならば長浜インターから乗って、養老SAで昼食としましょう。



岩上神社の前には無粋だけど屋根があって悪天でも濡れずにお参りできそうです



駐車した場所にある岩上神社鳥居

 養老SAのレストランで、「関が原雅膳」(\1,200)を食べます。鶏肉の朴葉味噌のホイル焼き、伊吹蕎麦、饅頭などいくつもの小鉢がありました。その後は経済速度を意識して時速80km程度でノンストップで音羽蒲郡インターへ。そのままR1を通り帰宅しました。長浜インターから音羽蒲郡インターまで\3,400のところ、平日昼間割引で\750引きの\2,650でした。

 夜は入浴剤(草津の湯)で疲れを癒しました。

 見かけた植物
 キヅタ(果実)、ソヨゴ(果実)、アベマキ


Wander!雪山地域別季節順