唯心山・岡山 後楽園の中の山と岡山城の山 岡山の後楽園の中にも山がありました。岡山城も山でした。
水路を隔てて唯心山を見る
【山 名】唯心山(ゆいしんざん) 岡山(おかやま) 15m 【山 域】岡山平野 【水 系】旭川水系 【所在地】岡山県岡山市北区 【山行日】2013年12月28日(土曜日・赤口) 【行 程】 姫路==(一般道)== 後楽園(唯心山)・岡山城(岡山) 【人 数】2人 【天 候】晴 12月28日時の気象庁データ:平均気温2.5℃、最高気温7.1℃、平均湿度62%、平均風速5.2m/s、最大風速時の風向:西 【スタイル】ミズノ ウォーキングシューズ フリーロード3 VS-1(2013.02.11購入\4,482)、 薄手ショートソックス、ユニクロ スタイルアップ カーゴズボン 綿70%・レーヨン27%・ポリウレタン3%、 布ベルト Gevaert ゲバルト Wリングマートンライン グレー&黒 吉田株式会社 日本製(2,415円)、 ユニクロ綿100%半袖Tシャツ(中国製)、腕時計(CASIO TWIN SENSOR)、 山喜 MADISON WALKER 長袖チェックシャツ(アクリル55%、綿45% 中国製)、 ユニクロ マイクロフリース長袖シャツ Olive L(100%ポリエステル)、眼鏡、 Coleman 濃赤TREK DAYPACK 45cm. 25L 520g ナイロン(2013.05.25購入\4,482)、 デジタルカメラ:Canon PowerShot SX50 HS(首に提げて歩く)竹田城跡へ行った後に宿泊したコンフォートホテル姫路。朝は、無料朝食がつきます。1Fのフロント脇にあるコーナーで、朝7時半頃から、窓に向ったカウンター席で食べました。窓の外は駐車場です。
部屋から見る朝の西方
朝の姫路駅方面パン、ワッフル、おにぎり、いなりがありますが、私はおにぎり2つを食べました。他には、ゆで卵、ソーセージ、野菜サラダ、ポテトサラダ、スクランブルエッグ、など。味噌汁も飲みました。デザートは、リンゴとパイナップルにヨーグルトをつけて。もちろん、食後のコーヒーも。
朝食
リンゴとパイナップルにヨーグルトをつけて妻は、パン、ワッフル、ソーセージ、ゆで卵、野菜サラダ、ポテトサラダ、おにぎり、いなり、リンゴ、パイナップル、クラムチャウダー。無料朝食としては、これだけあれば、文句ありません。
妻の朝食姫路から岡山へ下道で行き、まず後楽園と岡山城を観光します。セットの券を購入し、中へ。
後楽園は、金沢の兼六園、水戸の偕楽園とともに、日本三名園の一つになっていて、国特別名勝に指定されており、また、ミシュランの観光三ツ星にも選ばれています。1687年に岡山藩主の池田綱政が作らせたそうです。後楽園の名は、明治になった後の1871年につけられました。それまでは、城の後にある園なので、単に「後園(こうえん)」と呼ばれていたそうです。砂質地盤で湿度が低いため、苔が少なく、芝が多いことが特徴とのことです。
北西側から後楽園に入ると正面に岡山城が見えます 左の池は「沢の池」
岡山城を望遠 手前には廉池軒(れんちけん)が見えます
西側の水路を見る
正面に「沢の池」を見る
東へ水路沿いに進む
松の幹に巻かれた害虫駆除のための菰(こも)
鬼門に建てられた慈眼堂と烏帽子岩(割って再組み上げした岩)
「沢の池」の島にある「島茶屋」(しまぢゃや)
「沢の池」脇から正面に鶴鳴館(かくめいかん)を見る中央にある小山に登ると、唯心山とありました。もちろん知りませんでした。後楽園内の最高峰でしょうか。後楽園は、2012年9月に行った金沢の兼六園ほど広くなく、また単調に感じました。ひょっとしたら、高校の修学旅行でも来ているかもしれませんが、全く記憶にありません。
唯心山からの光景
唯心山の看板
花交(かこう)の滝
「花交の滝」看板
茶祖堂(ちゃそどう)
花交(かこう)の池
檜皮葺の流店(りゅうてん)
右側は蘇鉄畑
水に挟まれた通路
右が「沢の池」
芝生と唯心山
唯心山後楽園の別の出入口から岡山城へ。岡山城は、豊臣秀吉五大老の一人、宇喜多秀家が築城した城です。現存のものは昭和の再建です。「烏城」という別称は、城の黒い色から。
月見橋から岡山城を見る
月見橋からの岡山城
月見橋を振り返り見る
「築堤の碑」付近から見上げる岡山城
「築堤の碑」付近から見上げる岡山城天守閣
右側に見えるのは大正期に岡山県知事だった「笠井信一先生像」「岡山城は,大永年間(1521〜28)に在地の小領主金光氏の居城として「石山」に立地したので,石山城ともいった。」と、『岡山県の歴史散歩』(山川出版社)に紹介されています。その後、金光宗高(かなみつむねたか)を滅ぼした宇喜多直家(うきたなおいえ)が1573年に入城しました。そして、子の秀家(ひでいえ)が本丸を石山東方の「岡山」に移したとのことです。1597年(慶長2年)に竣工した天守は、現在の復元天守同様、黒漆塗りの外壁から「烏城(うじょう)」との異名を持っています(ちなみに「烏城」(からすじょう)と呼ばれるのは松本城)。『日本の名城200』(宝島社)には、「黒と金のコントラストが美しい”烏城”」として4ページに亘り紹介されています。金とは、鯱(しゃちほこ)の色で、「金烏城」との別名もあります。現在の金色の鯱は、1996年(平成8年)に設置されたものとのことです。岡山城の金箔瓦については、『日本の城 鑑賞のポイント65』(メイツ出版)にも載っています。
関ヶ原の戦い後は、小早川秀秋が城主となったが、子がなく2年で断絶し、その後は、池田氏の居城として明治になるまで続きました。
天守閣は、1945年の空襲で焼け、1966年に再建された鉄筋コンクリート製のものです。
1966年(昭和41年)に鉄筋コンクリート製で再建された廊下門
岡山市教育委員会の基準点No.2
1966年(昭和41年)に鉄筋コンクリート製で再建された不明門(あかずのもん)
不明門の奥には石段があります
天守の礎石 天守再建時に移築された
天守を見上げる
天守入口
天守から南方の眺め 県立図書館(手前右端)や県庁(その後方)が見えます
天守から北方の眺め 後楽園が見えます
後楽園を見下ろす
天守から西方の眺め 円柱形の岡山シンフォニーホールなどが見えます
鯱(しゃちほこ)とその右側に見えるNTTクレド岡山ビル
天守から東方の眺め 旭川を隔ててこの後に登る操山を見る
操山の展望板
金の鯱と操山
鯱瓦の展示
後楽園に戻り栄唱橋へ
栄唱橋近くの大きな岩
後楽園から借景となる操山を見る後楽園と岡山城を観光した後、後楽園すぐ横の「四季彩」で遅めの昼食をとりました。落ち着いた雰囲気で、ちょっと高級そうな感じもしますが、外にあるメニューを見て安心して中に入りました。入店したのは、13時半頃。
中に入っても、店員がすぐには対応してくれませんでしたが、店員にいる方へ行ったら気づいてくれました。テーブルは、その店員のいる方とは逆の方に座りました。注文したのは、「穴子重」(1,575円)。妻は、「茶そば」(1,260円)。穴子重は、小鉢、椀そば、香の物が付きます。茶そばは、天婦羅、デザートが付きます。穴子は、上品な味でおいしくいただけました。山椒の葉や大葉も載っていました。穴子は瀬戸内海周辺の名物でもあるみたいですね。茶そばもおいしいです。天婦羅は塩をいただくようです。
メニュー
茶そばと穴子重のメニュー
穴子重
ご飯の上の穴子には、山椒の葉と大葉もついています
穴子重の小鉢
茶そば
箸袋
伝票店長らしき男性がお茶のおかわりはいかがですか、と持ってきてくれました。私がまだほとんど飲んでいないのを見て、ポットごと、置いていってくれました。なかなか雰囲気のいい店です。それでいてそこそこ安くランチが食べられるのは嬉しいことです。
昼食後、操山へ。操山は岡山城跡の東方約2kmに位置します。
見かけた植物
ソテツ(果実)、キッコウチク、カクレミノ、マンリョウ(果実)、スイセン(花)
【唯心山・岡山が紹介されている主な書籍など】 『るるぶ情報版 中国3 岡山 倉敷 蒜山'10』(JTBパブリッシング)2009年12月1日初版発行 唯心山は、「高さ6mの築山」と紹介されています。 『岡山県の歴史散歩』(山川出版社)2009年8月30日1版1刷発行 宇喜多秀家が本丸を石山から「岡山」へ移したこと、後楽園の唯心山のことが書かれています。 『戦国城事典』(新紀元社)2012年8月11日初版発行 「城があった丘陵が岡山と呼ばれた」と書かれています。