月ヶ谷山・飯盛山・石巻山 読図山行

 東三河山ぽ会教育部主催の読図山行として出かけました。思ったよりも踏み跡がなく楽しめました。
【山 名】月ヶ谷山(わちがやさん)(観音山) 212.43m
      三等三角点 点名:三輪村1(みわむら)
      所在地:愛知県豊橋市石巻町字乙北山8番2 明治20年7月22日選点
     飯盛山 256m
     石巻山(いしまきさん、いしまきやま)(神山、みわやま) 359.1m
【山 域】弓張山脈(八名弓張山地・東三河) 石巻山多米県立自然公園
【所在地】愛知県豊橋市嵩山町・石巻町・石巻本町
【山行日】2007年2月25日(日曜日)
【行  程】国道362号線付近(嵩山町)から周回
  豊川 ==== 国道362号線付近(嵩山町)---- 橋 ---- 林道終点 ---- 月ヶ谷山 ---- 乙界五ニニ ---- 鞍部 --
                              -9:01       9:13      9:33        10:05-10:18     11:10          11:18
  -- 乙界五ニ六 ---- 飯盛山(昼食)---- 乙界五ニ六 ----  乙界五ニニ ---- 道路 ---- 階段 ---- 石巻山 --
      11:23         11:48-               12:52            13:04         13:14-    13:41-   14:01-14:17
  -- 駐車場 ---- 送電線鉄塔 ---- 間場登山口 ---- 国道362号線付近(嵩山町)==== 自宅
     14:37        14:49          15:05            15:52                       16:57
【所要時間】6時間51分(含休憩)
【標高差】約325m
【天  候】曇 気温:9℃(月ヶ谷山)、7℃(飯盛山)、9℃(帰宅時)
 2月25日豊橋の気象庁データ:平均気温6.1℃、最高気温8.7℃、平均風速2.9m/s、最大風速5m/s、
               最大風速の風向:東北東、日照時間0h、降水量0mm
【人 数】7人(もう1つのパーティ8人を合わせ合計15人)
【地形図】1:25,000 豊橋(とよはし) 平成13年修正測量
【スタイル】ミズノ ウォーキングシューズ "FREEWALK"、薄手ショートソックス、眼鏡、ウェストバッグ、
 PHENIX化繊ズボン(中国製)、MILLETザック、綿100%チェック長袖シャツ(中国製)、
 綿100%半袖Tシャツ(Fabric Made In USA、Assembled In Honduras)、
 腕時計(CASIO TWIN SENSOR)、デジタルカメラ:KONICAMINOLTA αSweet DIGITAL(首に下げて歩く)
【所持飲料】湯0.47リットル(テルモス)、森永製菓 ウイダーinゼリー エネルギーイン180g(amazon.co.jp)、
 大塚製薬アミノバリュー500ml(約300ml飲む)、爽健美茶オリエンタルスタイル500ml(飲まず)
【参考サイト】 愛知アルプス山行記
 主催者側の一人として、かなり前から計画されていた山行ですが、まだ先だと思って、前日をのんびり過ごしていて、明日のスケジュールを見ると、なんとその日で、あやうくすっぽかすところでした。翌朝6:20にタイマーをセットして就寝。

 サークルKで昼食におにぎりなど3つのみを買って集合場所へ。なんとか集合時刻の8時に間に合うと、まだ一人遅れて到着しました。私の車には他に一人乗せて出発。

 目的地である嵩山(すせ)町の国道362号線(姫街道)付近に着いて、登山の準備。登山靴にしようか、ウォーキングシューズにしようか少し迷ったのですが、下山後の道路歩きも考えて、足に合っているウォーキングシューズにします。

 出発前に現在地の確認をします。最初の目的地である標高212.4mの月ヶ谷山を見上げ、その方向と国道の交差する地点を求める方法をみんなに伝えながら実施しますが、いつもと違う方法でやろうとしたら、なんかいい加減な説明になってしまいました。



北麓から月ヶ谷山を見上げる

 まずは嵩山川(神田川)に出ます。Aパーティは右(下流)へ行き、尾根の末端付近から取り付くことになっています。我々Bパーティは左(上流)へ進みます。最初の目標は地形図に載っている電波塔と橋と墓地のある場所です。遠くから肉眼で見えるのは電波塔で、とてもわかりやすい目標になります。これはそんなに古い建物ではないようで、古い地形図には電波塔が載っていません。



嵩山川(神田川)下流方向を見る。Aパーティはもう先の方。



送電線鉄塔に比べれば背は低いがグレーの建物とアンテナが見える

 堤防の道端にはオオイヌノフグリなどが曇っているせいで花を閉じています。橋のたもとまで来たときに、鵜や鷺を見ました。橋の先には墓地もちゃんとありました。この墓地は正宗寺(しょうじゅうじ)のものだそうです。正宗寺は国道を挟んだ反対側にあるお寺で、2004年の読図山行で下山した地点でもあります。



右岸を上流へ進む。ここには蛍が舞うという。



国道を挟んで北側は石灰岩の採石で尾根が分断されてしまっている



橋の横の墓地は見難いが地形図にもちゃんと載っている

 コンパスを月ヶ谷山に合わせ、林道山尾曽根線を進みます。一人が月ヶ谷山の方向がほとんど後ろになっていることに気づきます。どうやら林道は大きくカーブし、東に向かっているようです。さてどうしよう。林道を離れて月ヶ谷山方面へ取り付くか、もう少し林道を進んでみるか。しかしよく見ると、林道の先は右へカーブしています。とりあえず少し先まで行ってみよう。



民有林林道沿いにはこのように土を掘られた跡がいくつも存在するが何のためのものかはわからない

 すると、右に向かった林道はそのままの方向へ進んでいきます。つまり、ほぼ前方が目的の月ヶ谷山になったのです。そして林道終点。ここから踏み跡は正面と左についています。もちろんコンパスの方向に近い正面への踏み跡を取ります。

 その踏み跡でしばらく登ると、踏み跡は薄くなり、正面は急傾斜となります。ここは右に行って小尾根に出ます。この小尾根を左へ進みます。少し登ったところを軽く右に寄りながら上がると稜線に出ました。ここから月ヶ谷山まではピストンになります。

 稜線にはテーダマツが植えられているようで、長い松葉が堆積しています。こんな藪の中にも植えられているのはちょっと意外に感じました。また、ところどころに「寺」の刻印のあるコンクリート標柱があります。これは南麓にある東光寺のものでしょうか。登りにかかるところで先頭が左のちょっとした踏み跡へ行こうとするので声をかけました。周囲を注意深く観察しながら歩いていたのでしょう。でも経験からすると、もう尾根を強引に突っ切った方が早いと思われます。藪山を登るときは、「前半は注意深く利用できる踏み跡は利用し効率的に歩き、後半は強引に突っ切って目的のピークに立つ」のがいいとあらためて思いました。



東光寺の境界を示す石標か

 登ったところはどうやら目的地ではないようです。目的地には三角点があるはず。地形図では平らなところが続いていますが、等高線に現われない程度の起伏があるようです。

 月ヶ谷山は観音山とも言うようです。戦時中、浜松空襲を終えた爆撃機がこの山に爆弾を落としたのだそうです。誤って落としたのでしょうか。この山の麓には土を掘って物資の保管もしていたそうです。その保管されていた物資は終戦のどさくさで持ち去られたといいます。

 もう一登りで三角点のある月ヶ谷山に着きました。もう一つのパーティはいません。我々がもたもたしている間にもうとっくに先へ行ってしまったのか、それにしてもすれ違う前に先に行った可能性は低いと思われます。たぶんまだ到着していないのでしょう。我々は休憩し、少し腹ごしらえもします。おにぎりを一つ食べます。そして十分休憩した頃、やってきました。そして入れ違いのようにして、我々は出発します。方向はセット済みです。



月ヶ谷山三等三角点「三輪村1」

 つい今しがた通ったはずなのに方向が逆だとそこが通ってきた尾根だとはわからないほどなのが不思議です。それでも変化のある場所を通ると気づきます。2番目を歩くYさんは、地形図を本当によく見ながら歩いています。そのせいで躓きそうになったり、木にぶつかりそうになったりしています。でも、「そんなに地形図ばかり見ていないで足元もよく見て歩かないと危ないよ」なんて言葉が出かかりますが、やめておきます。せっかく地形図を見ることに熱中しているのですから。それほど危険な場所でもないですし。

 登ってきて尾根に合流したあたりを過ぎ(それも特定できるほどではない)、尾根は登りになります。背の高いアオキが繁り、その中を進みます。「青木ヶ原樹海」なんて言葉が浮かびます。でもアオキは簡単に枝が撓むので、枝を除けるようなときでも苦労することはありません。足元にはこげ茶色の大きめの葉がたくさん落ちています。この卵円形は見覚えがありますが、名前が出てきません。

 傾斜が変化し、平らになったところは、地形図上で、250mの等高線がある場所のようです。誰かが、「舌べらめ」とか「舌べら」とかと言ってましたが、どうやら三河地方ではよく使われる言葉のようです。

 もう少し進み、「舌べら」の付け根あたりに来ました。さて思案のしどころです。飯盛山へトラヴァースして進むか、それとも稜線に一旦出るか。トラヴァースした方が楽だ、という意見が出ました。確かに稜線に出るにはちょっとした急登でしかも方向が若干遠ざかる方向です。時間もかかりそうです。それに地形図上に踏み跡を示す破線も描かれています。

 でも、トラヴァースする踏み跡は本当にあるでしょうか。また、トラヴァースすると、果たして飯盛山への尾根でその尾根が飯盛山に繋がる尾根と気づくでしょうか。それに尾根自体に気づかずそのままもっと先へトラヴァースしていってしまう可能性もあります。さらに、トラヴァースするという行為自体、歩きづらいところを歩くことになる可能性が高いと思います。これらのことを主張し、稜線に出ることにします。コンパスで方向を修正します。

 案の定、地形図に記された踏み跡は見つけられませんでした。そして石巻尾根上の標高310mのピークに出ると、そこには「乙界五ニニ」の宮標石がありました。ここは石巻山から県境稜線に向かう尾根上なので、踏み跡もはっきりしています。ちなみに境界標石の「乙」は十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)からとったもので、標石の数が1000以上になるような場所にこのような文字が使われているそうです。石巻尾根と県境稜線との交差地点には、最後の「癸」を使った「癸四八」標石があるようです。

 東に向かい鞍部に着くと、「乙界五ニ三」があり、左右に踏み跡がありました。左へ下ると湯巻集落へ出られるのでしょうか。この集落の名は昭和62年修正測量の地形図には載っていますが、平成13年修正測量の地形図にはなぜか載っていません。

 そして次のピークが飯盛山への下り口になります。ここは「乙界五ニ六」で宮標石の側面には「三輪村」、反対側面には「嵩山村」の表示がありました。現在は嵩山町と石巻町の境界になっているようですが、このあたり、稜線と町界が一致していないようです。さて、また方向を合わせ北へ下っていきます。このあたりもアオキが多く、ヤブニッケイの茶色い幹も目立ちます。

 



「三輪村」、「嵩山村」、「乙界五ニ六」

 登りになると尾根上には石灰岩の岩が多くなり、少し左寄りに進みます。これがまたちょっとした藪で厄介です。あまり左に寄るよりは、岩の方へ行った方が藪が鬱陶しくなく楽に歩けます。そして一番高いところに着きました。ここが飯盛山の頂上のようです。藪の真っ只中ではなく、岩場があるので、そこそこ開けています。ヤブツバキがたくさん咲いていました。麓付近には石灰の採石場もありますが、飯盛山はまさに石灰岩の山と言えるでしょう。



飯盛山への途中にあった岩塔。誰かがオベリスクと言った。



飯盛山への途中にあった石灰岩



飯盛山頂上付近は石灰岩が累積

 ここでもう一つのパーティと合流する計画です。計画の初期では月ヶ谷山で合流するような感じで話を進めていましたが、そうすると各パーティで読図する距離があまりにも短く、面白味がないので、せっかくなら256mピーク(飯盛山)まで行こうと総リーダーのKさんが提案しました。もちろん私も大賛成しました。

 まだKさんのパーティは来ていないようなので、ゆっくり昼食とします。おにぎりとのり巻餅を食べます。Fさんからはコーヒーをいただきます。豆を挽いて持ってきたそうで、おいしいわけです。ニカラグアだそうです。

 しばらくするともう一つのパーティのリーダーであるKさんからケータイに電話がかかってきました。どうやらルートミスをしたようで、飯盛山へ行くのは断念すると。飯盛山への尾根を通り越したのではないかと言っていました。ということは「舌べら」辺りからトラヴァースしたのでしょうか。

 我々がおいしいコーヒーを2杯ほど飲んで出発しようとする頃、また電話がかかってきました。稜線上のピークにいるそうで、標石があるというのでその番号を聞くと五ニ六とのこと。どうやら通り過ぎたというのは間違いだったようで、苦労してようやく飯盛山への下り口に着いたようです。でもこちらには来ないで、石巻山方面へ向かうとのこと。

 そんな電話をしていると、我々の先頭は少し右へ下りて行きます。慌てて追いかけて聞くと、岩場を避けて回り込むと言います。わかっているならいいやとそのままついて行きます。ところが藪っぽくなってきてこれなら尾根にほぼ忠実に岩場近くを下った方がよかったような感じになってきました。先頭がてこずっているようなので、私が自然と先頭に出てしまいました。そのままトラヴァース気味に左へ向かい、鞍部付近に出ました。また先頭を譲ります。

 「乙界五ニ六」ピークに戻り、石巻尾根の稜線を石巻山方面へ向かいます。途中に生えていた青い葉を見て、先ほど見かけたこげ茶色の卵円形の葉の名がキジョランだということを思い出しました。こげ茶色の葉を見て頭でどれだけ考えても名前を思い出せなかったのに、以前に見たのと同じ青い葉を見たとたんに名前が頭に浮かぶとは、頭の中の回路は実に不思議である。

 登りで稜線に合流した標高310mピークを過ぎます。「乙界五ニニ」宮標石がなければ、何気なく通り過ぎてしまうような場所です。その先には自然石に刻字された「乙界五ニ一」、「乙界五ニO」があり、「界五一九」のあるところから先の稜線は踏み跡がよくわかりません。ここで、急斜面の下方向へ踏み跡がついています。先行したパーティの踏み跡のように見えます。我々もここを下り、下にあるはずの豊橋市石巻観光道路を目指します。Kさんからも連絡が入り、石巻山の駐車場で待っているとのこと。稜線を強引に真っ直ぐ行けば、石巻山東稜に合流するのでしょうが、今日はそこまでするつもりはありません。

 

「乙界五ニ一」、「乙界五ニO」

 急斜面を下ると道路が見えますが、その法面は吹き付けで固められているようです。右へ移動しながら下れそうな場所を探します。そして急斜面ながら下れそうな場所がありました。とりあえず何人かがその崖を下ります。これならなんとか下れそうですが、細引きを利用する絶好の条件に見え、細引きを出して懸垂下降することにします。一旦下りたメンバーも私以外はまた登り懸垂します。昨日、明神山でやはり細引きを利用したというTさんは、今日は肩絡みで下りてみるという。他のメンバーは半マストで下り、中には始めて下りるという人もいたり、足を崖に突っ張るようにするやり方がうまくできず不安定に振られたりする人がいる中、Tさんは安定してスピーディーに肩絡みで懸垂していたのには感心しました。



半マストで懸垂下降



Tさんは肩がらみで下降

 そんな感じで時間を消費して遊んでいると、Kさんから電話がかかってきました。今から石巻山へ登ると言います。我々はもう山頂へ登るのはやめにし、Kさん達のパーティに合流して下るつもりでしたので、こんなところで時間を消費していたのはKさん達にとってちょっと迷惑だったかもしれません。でも色々と経験することは面白いことです。今日はとてもバラエティーに富んでいて、充実した山行でした。そしてさらに石巻山へ登るという欲張りな山行にもなってしまいました。もちろん私は反対ではありません。他のメンバーの中にはもう十分という雰囲気もありましたが。

 たまに車も通る豊橋市石巻観光道路を進むと、名前のわらかない花も目にします。でも今日は私以上花に詳しい人はパーティ内にはいないようです。

 石巻山へ登る階段のあたりでKさんと会いました。そして石段を登ります。一人が足をつってしまったようです。そろそろ怪我の多い時間帯です。筋肉の疲労もあるでしょう。でも本人曰く、懸垂下降で普段使わない筋肉を使ったのが原因だそうです。しばらく私と二人で休憩します。少し経って歩こうとしますがやはりまだ痛むようです。このままここで他の人たちが帰ってくるのを待つ覚悟もしていましたが、本人が歩けると言って歩き出しました。

 この先は何度か歩いている登山道です。今は禁止になっているようですがクライミングのときにも通っています。登山の格好をしていない人も歩いています。そして山頂も近くなった頃、前を歩いていたパーティに追いついてしまいました。



石巻山へは岩の間を登る

 山頂でようやくもう一つのパーティと歓談し、途中のいきさつなどを聞いたりします。飯盛山へは途中まで偵察隊を出したそうですが、時間がかかると判断し、偵察も途中で引き返したとMさんに聞きました。記念写真を撮って下り始めます。

 

石巻山頂上から東方の岩場を見る



石巻山から三ッ口池を見下ろす。左脇には豊川用水東部幹線も見える。

 他パーティと同一行動となり、そのパーティに花に詳しい人がいて、カテンソウやクサノオウを教えていただきました。駐車場から下る登山道にも宮境界標石がありました。

 前半を歩いていた人たちと後半を歩いていた我々とで少し離れてしまい、前半は尾根の北側への道を行ったようですが、それを知らずに尾根の末端方向へ行ったと思って、私を含む後半はそちらに進みました。

 間場登山口に出てからは道路を歩きます。メジロなどを目にします。月ヶ谷山の尾根を越える道路は、昭和62年修正測量の地形図では幅員1.5m〜3.0mの道路になっていますが、平成13年修正測量の地形図では幅員5.5m〜13.0mの道路に2段階昇格しています。会の山行ではこんなに道路歩きをするのも珍しいようで、一人が肉離れをしたと言います。歩けないほどではなく、ちょっと遅れ気味に歩いていました。翌日話を聞くと、まだ痛むと言っていました。



北西麓からの石巻山

 トウカイタンポポとセイヨウタンポポの雑種と思われるアイノコタンポポなどを観察しながら、嵩山川(神田川)右岸の堤防を歩き、出発地点に戻りました。前半のパーティは下山後の道路歩きが短く、かなり待ったようでした。解散後は、3人を乗せて豊川の集合場所へ。

 この日は前後の日と比べて気温の低い日でしたが、花粉は多かったようで、車で帰る途中には既に鼻水垂らしていました。夜は完全に両方の鼻が詰まり、口を開けて寝たせいで、何度も目を覚ましたり、喉が渇いたりし、翌日の仕事中も違和感が続いていました。

 見かけた植物
 キジョラン、テーダマツ、マメヅタテイカカズラ、アオキ、ヤブニッケイ、カゴノキ、ヤブツバキ(花)、アベマキ、ナンテン、カテンソウクサノオウ(花)、コクラン、ビワウメ(花)、モウソウチク、アイノコタンポポ、オオイヌノフグリ、ナズナ、ミツマタ、ヤマアイ(花)、ヒメウズ、ジロボウエンゴサク


【石巻山が紹介されている書籍など】

『朝日新聞』1998年6月18日版
  山頂付近の概念図や写真とともに石巻山が紹介されています。

『ワンデルングガイド10愛知県の山』(岳洋社)平成4年6月13日2版発行
  白黒ページの表紙にクライミングする人とともに石巻山の写真が載っています。
  目次では【湖西の山】に分類されていて、県境稜線からのルートが紹介されています。

『'96アウトドアData3800東海版』(風媒社)1995年11月20日初版第一刷発行
  「石巻山」、「石巻山石灰岩地植物群落」、「石巻山自然歩道支線」の項があります。

『名古屋周辺 続 山旅徹底ガイド 裏木曽/東濃/奥三河』(中日新聞本社)1996年3月6日発行
  間場口からの石巻山が紹介されています。

『こんなに楽しい愛知の130山』(風媒社)1999年10月8日第1刷
  神石山とセットで間場口からの石巻山が紹介されています。

『三遠信の山歩き』(風媒社)1998年7月5日第1刷
  神石山とセットで間場口からの石巻山が紹介されています。

『アルペンガイド13名古屋周辺ワンデイ・ハイク』(山と溪谷社)1985年3月発行
  神石山とセットで間場口からの石巻山が紹介されています。

『こんなに楽しい愛知の100山』(風媒社)1991年5月1日改訂第1刷
  神石山とセットで金田からの石巻山が紹介されています。

『分県登山ガイド22 愛知県の山』(山と溪谷社)1995年9月25日初版第1刷
  坊ガ峰とセットで石巻山が紹介されています。

『新日本山岳誌』(ナカニシヤ出版)2005年11月15日第1版第1刷発行
  2つの別称や、貴重な植物についての記述などがあります。

『日本の山1000』(山と溪谷社)1992年12月1日2刷
  桜が咲く山麓からの石巻山の写真が載っています。

『新・花の百名山』(文春文庫)1997年8月5日第8刷
  「弓張山地」のページで、葦毛湿原とともに石巻山が紹介されています。
  こちらで購入できます→amazon.co.jp『新・花の百名山』 楽天ブックス『新・花の百名山』

『やぶ医者のやぶ山あるき 三河の山々』(毎日新聞名古屋開発)2000年5月発行
  4ページに渡って、昔の思い出などを交えた文章が書かれています。

『日本列島花maps mini 静岡・愛知・三重』(北隆館)平成5年12月20日発行
  4ページに渡り、多くの植物が紹介されています。

『コンサイス日本山名辞典修訂版』(三省堂)1989年9月1日第6刷
  標高356mとなっています。

『石巻山の植物』
  多くの植物の写真と解説があります。

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